はじめに
コロナ禍で予定がすべて中止となり、おまけに連日の猛暑でステイホームを余儀なくされる中、昨年訪れたスペイン、ポルトガルの写真をもとに0F、1Fの小さなスケッチブックに淡彩画を描くことにした。絵をかきながら旅行中のことを思い返し、楽しく有意義な時を過ごせた。行程に合わせ一か所一枚の絵を描き終えると欲が出て、文章を添えて絵日記風に旅の記録をまとめてみようと思い立った。地図や写真などを加え、旅の様子が 分かるようにしたつもりである。
1. 一日目(9月13日、金)エル・エスコリアル、サマランカ
昨夜22時55分に羽田空港を発ち、パリ経由で9時5分にマドリッド空港着。レンタカーの手続きに結構時間がかかり空港を出たのは10時40分。
エル・エスコリアル
エル・エスコリアルはマドリッドの北西約50km、グアダラマ山脈の麓にある、マドリッド市民の別荘も多い美しい町。
並木の美しいフロリダブランカ通りを進み12時に駐車場に着く。坂の多い街なので、駐車場の屋上が市庁舎などの面するコンスティテューション広場になっている。お目当てのエル・エスコリアル修道院はすぐ近く。駐車場を出てフロリダブランカ通りを進むと左手に小公園があり、ここで右折すると通路の先に案内所があり資料が手に入る。通路のアーチを潜ると広場で、目の前に巨大な建物が現れる。
エル・エスコリアル修道院は1484年に完成した建物で、美術館、ハプスブルグ家の宮殿、歴代国王などの棺が納められた霊廟、礼拝堂、修道院、図書館からなり、幅161m、奥行206mという巨大さに圧倒される。スペイン帝国の黄金時代を代表する建造物としてL字形の広場を囲むすべての建物が世界遺産に登録されている。14時出発。
サマランカ
サマランカは古代ローマ人によって築かれ、「銀の道」の中継地として栄えた。1218年にはスペイン最古のサマランカ大学が創設され、ボローニャ、パリ、オックスフォードと並ぶヨーロッパ有数の大学都市として発展して来た。
16時15分、アッバ・フォンセカ・ホテルにチェックイン。向かいにフォンセカ学院がある。
ホテルを出て坂を下り、上ると貝の家(地図の❸)の前に出る。15世紀後半に巡礼者を守る騎士団の家として建てられたゴシック様式の建物で、サンティアゴ巡礼のシンボル・ホタテ貝の装飾が外壁一面に取り付けられている。現在は図書館になっている。
目抜きのマヨール通りを進むとスペインで最も美しいと言われるマヨール広場❶。フェリペ5世が王位継承戦争に協力したサマランカに感謝して18世紀に建造したもの。チュリゲラ様式(17から18世紀にかけて発達したスペイン独自のバロック様式。優れた建築家を多数輩出したチュリゲラ家に由来。)の調和のとれた建物が四周を取りまき、1階は回廊になっている。北側に市庁舎が面している。回廊に面した瀟洒なアイスの店で一休み。アイスをカップにいっぱい詰め込んでくれる。美味しかった。
マヨール通りを戻ってサマランカ大学❺へ。1534年に造られた正面入り口はプラテレスコ様式(16世紀前半のスペイン・ルネッサンス様式。繊細豊富な浮彫装飾が銀細工(プラテリーア)を想起させることに由来。)の傑作とされる。広場奥(写真右手前)の入り口から中に入ると、中庭を囲んで講義室が並んでいる。
大学正面入り口前を右に進むとすぐに新旧カテドラル❻。新カテドラルは16~18世紀にかけて建築されたゴシック様式。正面ファサードの彫刻はプラテレスコ様式の傑作とされる。旧カテドラルは12世紀建造のロマネスク様式。イタリア人画家ニコラス・フロレンティーノの祭壇画、フレスコ画が見事。旧カテドラルの南を周ると新旧カテドラルを一緒に見ることができる。旧カテドラル内陣のドーム・ガーリョ塔はスペインで最も調和のとれた美しい塔として知られる。さらに北へ回ると新カテドラル北側が面するアナヤ広場がある。
アナヤ広場から東に進むとサン・エステバン修道院❾。1618年に完成したドミニコ会の修道院でチュリゲラ様式発祥の地として有名。教会の祭壇衝立はチュリゲラ一家の長男ホセの代表作。聖歌隊席下部の天井もすごい。コロンブスがこの修道院に滞在しながらサマランカ大学に通ったという。帰りがけ、前の広場でこれからイベントがあるのか、大道芸人らしい人たちが装置の準備を始めていた。
マヨール広場近くのメレンデス通りの「ヘロ」で夕食。名物料理のコチニーリョ・アサード(子豚のオーブン焼き)は皮はぱりぱりで美味しかった。
(つづく)