旅の絵日記:2019年スペイン、ポルトガル 6

6. 六日目(9月18日(水))、トマール、キリスト修道院バターリャ、オビドス

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六日目旅程:トマール→キリスト修道院バターリャ→オビドス→

トマール

 トマールはナバオン河畔に広がる街。キリスト修道院と4年ごとに行われるタブレイロスの祭りで知られる。

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トマール旧市街                   レプブリカ広場と市庁舎

 8時50分にホテルを出て旧市街を散策。ホテルに隣接する公園の中を通って旧市街へ。シルヴァ・マガラエス通りを進むとレプブリカ広場に出る。キリスト修道院のある丘を背に市庁舎、対面にサン・ジョアン教会がある。15世紀後半に建てられたゴシック様式の教会で、マヌエル様式の塔の時計は16世紀のもの。教会の2本南、15世紀中ごろに建てられたシナゴガがあるDr.ジョアキム・ハチント通りは樹木や花が多い。

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サン・ジョアン教会               Dr.ジョアキム・ハチント通り

 通りを進むと水路に突き当たる。水路に面して向こうの建物は今は文化複合施設となっている。水路に沿って左へ進むとヴェラ橋に出る。橋を渡って旧市街を眺めると古い橋と塔のある白い家、まっすぐ伸びる中心街の向こうにキリスト教修道院の丘が見え、その美しさに感動。

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「トマール旧市街風景」 10F パステ

キリスト修道院

  10時15分ホテル出発。丘に上のキリスト修道院に着く。

 1147年、リスボン北東のサンタレンの戦いに勝利し、レコンキスタに貢献した功績でアフォンソ1世からこの地を与えられたテンプル騎士団が、堅牢な城塞と聖堂を築きポルトガルでの拠点とした。1312年にテンプル騎士団が禁止されると、ディニス1世が創設したキリスト騎士団に引き継がれた。当時団長だったエンリケ航海王子は、その豊かな財力によってポルトガル大航海時代に導いた。12世紀から16世紀まで増改築が続けられた修道院ポルトガル最大の規模を誇る。世界遺産

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キリスト修道院                 テンプル騎士団聖堂

 テンプル騎士団聖堂手前の入り口を入ると墓の回廊。15世紀にエンリケ航海王子が増築した回廊で修道士たちの墓所となっている。

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「墓の回廊とテンプル騎士団聖堂」 0F 水彩

 その隣の沐浴の回廊はかって修道士たちが洗濯や沐浴をした貯水池のまわりに造られたもの。テンプル騎士団聖堂は12世紀後半にビザンティン風ロマネスク様式で建てられた。出陣に際し乗馬のままミサを行えるよう円形平面。

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沐浴の回廊                    テンプル騎士団聖堂内部

 キリスト騎士団聖堂西壁にはマヌエル様式の最高傑作とされる大窓がある。主回廊はルネッサンス様式で16世紀に建てられた。1581年にポルトガルを併合したスペイン王フェリペ2世が、ここでポルトガル王フェリペ1世として戴冠した。

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キリスト騎士団聖堂西壁のマヌエル様式の窓                          主回廊

 T字形の廊下の両側に40の宿坊が並ぶ。ミシャの回廊の西側の部屋にはパンを焼く竈があり、当時はここで貧しい人々にパンが配られた。売店で昨夜呑んだワインが約1/3の値段なので買う。12時5分出発。

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宿房の廊下                   ミシャの回廊

バターリャ

 12時50分バターリャ修道院着。バターリャは「戦い」の意。バターリャ近郊のアルジュバロータで、1385年8月14日、王位を狙って攻め入って来たカスティーリャ軍をジョアン1世率いるポルトガル軍が打ち破った、スペインに対するポルトガルの独立を守る歴史的戦いだった。聖母マリアに感謝をささげるため、アヴィス朝の始祖となったジョアン1世が修道院の建立に着手したのは1388年で16世紀初頭まで引き継がれた。ポルトガルのマヌエル様式(ゴシック様式を基調に豪華な装飾が特徴。大航海時代を築いたエマヌエル1世にちなむ名称)を代表する建築で世界遺産

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バターリャ修道院               騎馬像のある南側広場

 教会入口から入ってすぐ右手に創設者の礼拝堂。15世紀に造られたジョアン1世の家族の墓所。中央にジョアン1世と王妃の棺が置かれている。

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ジョアン1世と王妃の棺             創設者の礼拝堂のドーム

 教会は奥行80m高さ32mでポルトガルでも1,2の規模。ステンドグラスを通した色光が床や壁に映ってきれい。

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教会身廊              ステンドグラスの色光

 ジョアン1世の回廊は1386年建設開始、1515年完成。当初はゴシック様式だったが約100年後にマヌエル様式の装飾が付け加えられた。

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バターリャ修道院ジョアン1世の回廊」 1F 水彩

 参事会室は交叉リブヴォールトで支えられた大空間。現在は第一次世界大戦とアフリカの植民地争いで命を落とした無名戦士の墓が置かれ、墓を守るヴェテランらしい兵士は微動だにせず見事。

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ジョアン1世回廊の噴水              参事会室の無名戦士の墓

 アフォンソ5世の回廊は15世紀に造られたゴシック様式。未完の礼拝堂は一旦外へ出て教会とのつなぎ目から入る。ドウアルテ1世により建設が始まりマヌエル1世に引き継がれて100年ほど工事が続けられたがついに未完に終わった。14時20分出発。

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アフォンソ5世の回廊        未完の礼拝堂入り口                未完の礼拝堂

オビドス

 15時頃オビドス着。城壁に囲まれた「谷間の真珠」と呼ばれるかわいらしい町。ローマ時代に砦が築かれていた。1282年にはディニス王がこの町を訪れ、魅了された王妃イザベルに町を贈り、以降1834年までオビドスは代々の王妃の直轄地となった。

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オビドス旧市街                    ポルタ・ダ・ヴィラを入った所

  イスラム時代に造られたポルタ・ダ・ヴィラ❺を入ると裾と隅を鮮やかに彩られた白い壁の町並みが目に入る。左側のメインのディレイタ通りではなく右側の道を進む。13~14世紀にロマネスク様式で建てられたサン・ペドロ教会⓬を拝観し、さらに進むと街の中心サンタ・マリア広場に出る。

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サン・ペドロ教会               サンタ・マリア広場

 サンタ・マリア教会の内壁は17世紀のアズレージョで覆われている。

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サンタ・マリア教会                        教会内部

 広場の南側を下り南門(聖グラッサの門)に通じる道へ出る。

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「オビドス南門への道」 0F 水彩

 城壁を右手に見ながら坂道を上ると現在は改装されて書店となっている旧サンティアゴ教会⓴に出る。

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サンティアゴ教会                  現在は書店になっている

1950年に歴史的ポザーダとなった城との間の道を進むと野外劇場と練兵所跡(22)。練兵所だったことを示すためか小さな小屋が散在する。こちらからは城の全容が良く見える。

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野外劇場                         オビドス城

ディレイタ通りを戻り、17時35分出発。

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カーサ・デ・サンティアゴ・ド・カステロ                   ポルタ・ダ・ヴィラ                                       水道橋

 シントラのレガレイラ宮殿を目指したが駅周辺をぐるぐる回るばかりで進めず諦める。

 ユーラシア大陸最西端のロカ岬の脇を通って、17時30分、ホテル・フォータレサ・ド・グインチヨにチェックイン。人里離れた海岸の要塞を改修したもの。ホテルの食堂で夕食。盛り付けに凝った懐石料理のようなしつらえの料理。美味しかった。

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ホテル・フォータレサ・ド・グインチョ                                                 ロビー
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(つづく)