七日目(9月19日(木))モンセッラテ公園、リスボン
モンセッラテ公園
9時10分、ホテル出発。9時35分シントラのモンセッラテ公園着。フランシス・クックによって作られたロマンチック時代の最初の風景庭園の一つ。1856年にクック家の夏の別荘として建設されたイスラム風のモンセッラテ宮殿、植物園などがある。11時20分出発。再度レガレイラ宮殿を目指したがやっぱり到達できず諦めてリスボンに向かう。
リスボン
リスボンはオデッセウスによって築かれたという伝説を持つ。「七つの丘の町」と呼ばれる起伏の激しい町。古代よりフェニキア人やカルタゴ人によって港として利用され、ローマ、イスラムの支配を経た後、1147年にアフォンソ1世がイスラム教徒から町を奪回。1260年にはアフォンソ3世がコインブラからリスボンに遷都。15世紀から始まる大航海時代にはアジアや南米との交易によって莫大な富がもたらされた。
駐車場隣の公園にあるベレンの塔へ。マヌエル1世の命により、テージョ川を行き交う船を監視し河口を守る要塞として1515年に着工、1520年に完成した。マヌエル様式の優雅な建物で世界遺産。待ち行列で時間がかかりそうなので内部見学はパス。
テージョ川沿いに発見のモニュメントへ。1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られた。カラベル船をモチーフにして舳先に立つエンリケ航海王子を先頭にこの時代に活躍した人々が続く。エレヴェータで52mの屋上に出られるがパス。前の広場には大理石のモザイクで世界地図と各地の発見年号が記されている。
地下道を潜り、インペリオ広場を通ってジェロニモス修道院へ。国立考古学博物館で修道院の入場券を買う行列に並んだ時、息子にリュックが開いていると言われて調べてみたら掏摸の仕業らしい。薬を入れたポーチの中の薬袋がくしゃくしゃになっている。傘や、携帯電話、メモリーは無事。なくなっていたのは今朝受け取ったホテルの領収書のみで事なきを得たが、全く気が付かない間にやられていて物騒なこと。
ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また新天地へと乗り出していく航海の安全を祈願してマヌエル1世が1502年に着工、約1世紀かけて完成。マヌエル様式の代表作で世界遺産。西門から入りマヌエル様式の最高傑作とされる回廊へ。1階はフランス人建築家ボイタックが。2階はその死後引き継いだホアン・デ・カステージョが手掛けた。2階に上がると聖歌隊席に出られ、ここから教会内部が見下ろせる。
修道院を出てすぐ近くにエッグタルトが美味しいので有名な店があり、列に並んで買う。エッグ・タルトは素朴な菓子だが美味しい。
15時20分、ベレン地区の駐車場を出て、15時30分、サナ・リスボン・ホテルにチェックイン。ホテルはエドウアルド7世公園に面している。イギリスのエドワード7世がリスボンを訪問したのを記念して造られたフランス式庭園。
16時30分、ホテル出発。近くのマルケス・デ・ボンバル駅から地下鉄に乗りバイシャ・シアード駅で下車。長い地下エスカレータで登ってカモンイス広場の近くで地上に出る。ポルトガル最大の詩人と称えられるカモンイスの像が立つ広場の敷石は大航海時代のポルトガル人の偉業をうたい上げた叙事詩「ウズ・ルジアーダス」をテーマとしている。右折し北に進むとサン・ロケ教会に出る。
サン・ロケ教会は16世紀末に建てられたイタリア・バロック様式の教会。1584年、日本の天正遣欧少年使節が1ヶ月ほど滞在したイエスズ会の教会。
その先にケーブルカー(グロリア線)の終点があり、横にサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台がある。正面にサン・ジョルジェ城が見渡せる。
展望台の先を左折し、一本目のロサ通りを南下して突き当たりがカモンイス広場に通じるロレト通り。ロサ通りのアーチを潜ってすぐ右手にケーブルカー(ビッカ線)の終点がある。
ケーブルカーで下る。下には駅舎がある。サン・パウロ通りをコメルシオ広場へ。1755年の大地震で破壊されたマヌエル1世の宮殿があった所。1908年にカルロス1世と皇太子が暗殺されるなど、さまざまな歴史の舞台となった。広場はテージョ川に面しており、中央にはドン・ジョゼ1世の騎馬像が立つ。
テレイロ・ド・パソ駅から地下鉄に乗り、バイシャ・シアードで乗り換え、マルティン・モニス駅で下車。市電の通る道をロシオ駅へ戻る右手にある中華の「Tram28」で夕食。普通の中華屋だが味はまずまず美味しかった。
ロシオ広場のイベントを眺めながら、レスタウラドーレス駅から地下鉄に乗りホテルに帰る。部屋にはウエルカムドリンクとチョコレートが置かれていた。