はじめに
2018年9月13日から25日にかけてクロアチアを主にイタリア、スロヴェニアを周った旅の記録を絵日記として取りまとめた。
クロアチア西南部はアドリア海沿いの細長い国土なので、行きも帰りもほぼ同じルートをたどり、行く先々で美しいサンセットを楽しめた。長年一度行ってみたいと思っていたドウブロヴニクをはじめ小さいながら歴史ある町並みや国立公園のハイキングなど変化に富んだ旅だった。イタリア、スロヴェニアは旅程の通り道にあるいくつかの場所を周ったのみだが、いずれもなかなかよかった。
1.一日目(9月14日(金))、ピラン、ロヴィニュ
昨夜羽田空港を22時55分に発ち、パリのCDG空港経由で10時25分ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港到着。CDG空港の出発が予定より1時間30分遅れた。ヴェネツィアはひどく暑い。レンターカーを借りるのもいつものように待ち行列で時間がかかる。おまけに借りた車の後部窓・シートベルトに汚物が付着しており、拭いても取れない。係員に言っても「問題ない」と取り合ってくれない。予定よりだいぶ遅れて12時出発。
13時45分に国境を越えてスロヴェニアに入り、14時25分ピランの駐車場に着く。
ピラン
ピランはトリエステ湾とピラン湾に挟まれた細長い半島に位置する港町でクロアチアとの国境に近い。13~18世紀にわたってヴェネツィア共和国の支配下にあった。街の中心タルティーニエフ広場周辺に残るゴシック、ルネッサンス、バロック様式の古い建物はその時代のもの。
駐車場を出てしばらく行くとかってピランの町を守っていた城壁㉙がある。ここに登ると旧市街が一望できる。写真右手に聖ユーリ教会、中央左手にタルティーニエフ広場が見える。右手の海を見下ろすとゆったりと泳いでいる人がいる。
急な坂道を下り、突き当たってすぐ左手の坂を上ると聖ユーリ教会⑧。ピランの町を見下ろす小高い丘の上に1344年に建てられた。海側は断崖絶壁。1637年にルネッサンス様式やバロック様式を取り入れた現在の独特な外観に改築された。
若い二人は鐘楼に登ったが我々は下で待つ。鐘楼からはタルティーニエフ広場が眼下に見渡せるようだ。
聖ユーリ教会脇の路上でハープを奏でる女性がいて、それを見つめる乳母車の赤子が可愛かった。
聖ユーリ教会からごく狭い道を下り切ると狭いメイン道路にぶつかる。ここで右折し家の下を潜りながら進むと第一五月広場④に出る。さらに進むと半島の突端に出、灯台①と健康の聖母教会②がある。教会内部はアートが展示されていた。
灯台から続く海岸沿いのプレシェルノヴォ通りはレストランが軒を連ねる。海岸は岩だらけだが、そんなところで泳いでいる人がいる。海岸沿いを進むとピラン港、マリーナに着く。マリーナの向かいに海洋博物館がある。
マリーナの奥を入ると町の中心タルティーニエフ広場⑳。中央にはピランが生んだ作曲家・バイオリニストのジュゼッペ・タルティーニ(1692~1770)の銅像が立ち、市庁舎⑮、裁判所⑭、町で最高級のホテル・タルティーニ、カフェ、土産物店などに取り囲まれている。タルティーニの生家⑱もある。北の出口角にヴェネツィアン・ハウス㉑という美しい建物があり、現在は近くのセチョベリエ塩田で作られた塩製品の販売店になっている。その脇の細い道を上り崖上の突き当りの所で車を取りに行った息子の迎えを待つ。
16時55分ピラン発。17時15分国境を越えてスロヴェニアからクロアチアへ入る。
ロヴィニュ
18時45分ホテル・アルピヌムにチェックイン。ロヴィニュは人気の観光地で旧市街は中世の雰囲気をよく残す。ローマ時代からの歴史ある街だが、ヴェネツィア共和国時代、16世紀から急激に発展した。旧市街は岬の部分に形作られ、城壁を巡らせて要塞となった。今も残る城門にはヴェネツィアのシンボル、サン・マルコのレリーフが刻まれている。
サンセットを見にロヴィニュの旧市街へ。港のあたりは遊歩道が整備され、レストランなどが軒を連ねている。旧市街は入日を受けて逆光で見ずらい。チトー元帥広場②を過ぎ、防波堤兼用の波止場へ行ってサンセットを眺める。波に映る夕日が美しい。ここから見る旧市街は光を横から受けるのでなかなかのもの。サンセットを眺めながら食事を楽しめるように海岸沿いにレストランが軒を連ねている。
海岸沿いの道を進み、海側のレストランが切れるあたりで引き返す。ホテルに戻って夕食。
(つづく)