旅の絵日記:2008年ドイツ 2

2.二日目(5月3日(土))、ハイデルベルグヒルシュホルン城、ホーンベルク城、バート・ヴィンプフェン、シュヴェービッシュ・ハル、コンブルク

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二日目旅程:ハイデルベルクヒルシュホルン城→ホーンベルク城→バート・ヴィンプフェン→シュヴェービッシュ・ハル→コンブルク

ハイデルベルク

 6時頃になってやっと明るくなり始める。朝食前にホテルの窓から向かいの建物をスケッチ。柴山先生に見て頂いたら「人物を入れるとよかったね。建物のスケールが分かるから」。納得。

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ハイデルベルク旧市街                   「ハイデルベルク、ホテルの窓から」 F0、水彩

 8時、チェックアウトを済ませ、荷物を車に積んでから街の観光に出かける。テオドール・ホイス橋を渡り、ネッカー河畔を旧市街の様子を眺めながら進む。カール・テオドール橋を渡って旧市街に入り、聖霊教会、市庁舎が面するマルクト広場へ。市庁舎の脇を抜けるとコンマルクト。ここから城へ上がれるケーブルカーがあるが城の下の道を歩いて登る。

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マルクト広場                 聖霊教会              市庁舎とコンマルクト

 15分ほどでフリードリッヒ館の前のアルターン(大テラス)に出る。ここからの旧市街の眺めは見事。城は13世紀頃からプファルツ伯の居城として拡張を続け、ゴシック、ルネッサンスバロックなど様々な様式が見られる。30年戦争、プファルツ継承戦争や火事で破壊され、現在は半ば廃墟の様相を呈している。

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フリードリヒ館            アルターンから旧市街の眺め           アルターンと庭園

 城の地下にある世界最大級のワインの大樽は上に登れるようになっている。構内にドイツ薬事博物館があるがパス。城門を出て東に進むと庭園があり、庭の奥にグロット(人工の洞窟)がある。

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ワインの大樽                   城門                      庭園
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櫓の廃墟                   噴水とグロット                 ゲーテ

 マルクト広場に戻り聖霊教会へ。ゴシック様式の割合簡素な建物。教会を出てハウプト通りを西に少し進み左折すると正面にイエズス教会。その前を右折するとすぐ大学広場があり周辺に古くからの大学の建物が集まっている。ハイデルベルク大学は、現在のドイツで最古の歴史を誇る1386年の創立。8人のノーベル賞受賞者を輩出している。大学博物館の裏の路地には1712~1914年まで使われていた学生牢が公開されている。

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聖霊教会身廊                 イエスズ教会            大学広場と大学博物館

 ハウプト通りに戻り西に進む。通りの建物には壁から看板が突き出しておりデザインンの面白いものも多い。ハウプト通りの始点ビスマルク広場にはブルスト(ソーセージ)を焼く屋台が香ばしいにおいを振りまいている。

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ハイデルベルク大学                 看板                ブルストの屋台

 ホテルに戻り、11時ホテル出発。マンハイムからチェコプラハに到る古城街道を、一路ネッカー川沿いに東に進む。

ディルスブルク、ネッカーシュタイナハ

 ハイデルベルクから15kmほど進むと、ネッカー川越に裾を真っ黄色な菜の花畑とピンクの果樹に彩られた小高い丘の上にディルスブルクの街が見えてくる。左手にはネッカーシュタイナハの町や燕巣城が見える。ディルスブルク城は12世紀後半にラウエン伯によって築かれた。対岸のネッカーシュタイナハには当時ヴォルムス司教によって「後城」が築かれていた。ラウエン伯はバート・ヴィンプフェンに居城を置く皇帝の意を受けて山上に城を築き、先んじてディルスブルクの開拓を進めようとしたものと推測される。1347年、城下に町を建設したのが始まり。絵にサイクリングを楽しむ人を描きこんだが、ドイツでは至る所サイクリング道路が整備されていて感心した。

 ネッカーシュタイナハは市中心部の西側にある山稜及びネッカー渓谷の斜面に建つ「前城」「中城」「後城」「燕巣城」の1100~1230年の間に建設された四つの城が有名。町には寄らず通り過ぎた。

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「ディルスブルク付近のネッカー川」 F0 水彩                   ネッカーシュタイナハ
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燕巣城                   ヒルシュホルン城               街からの城門

ヒルシュホルン城

 駐車場脇にある上の城門から入る。城は13世紀に建てられたが、16世紀に本館は建て直され、現在は古城ホテルになっている。「ネッカー川の真珠」の異名がある。天守閣に登ると眼下にネッカー川の通船用閘門が見える。小高い丘の上に築かれた城から城壁がネッカー河畔まで続いており、町を囲んでいる。

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ヒルシュホルン城、町からの城門内側」 F0 水彩
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ネッカー川の閘門             ヒルシュホルンの町               マルクト広場

 次に向かう途中、左手にツヴィンゲンブルク城が見える。現在でもバーデン大公の私邸であるため公開されていない。

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ツヴィンゲンブルク城           ホルンベルク城裏門周辺               裏門内側

ホルンベルク城

 葡萄畑の中に建つ古城で天守閣など本丸あたりは廃墟になっている。裏門から入り、天守閣に登ると城郭の構造がよく分かる。この城はゲーテの処女戯曲「ゲエツ・フォン・ベルリッヒンゲン」に登場する実在の騎士ベルリッヒンゲンの居城だったとのこと。現在古城ホテルになっている。

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「ホルンベルク城」 F0 水彩
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葡萄畑越の城                 正面の城門                     隅櫓
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天守閣と櫓                  本丸の遺構                    礼拝堂

 15時、バート・ヴィンプフェンを望む道路わきの草地でハイデルベルクの屋台で買ったブルスト・ミット・ブロート(パンで挟んだ焼きソーセージ)の昼食を摂る。

バート・ヴィンプフェン

 シュタウフェン家の皇帝フリードリッヒ・バルバロッサが愛し、居城の一つに定めた「皇帝の城」を持つ町。12世紀にシュタウフェン王朝の宮廷が築かれた。町は城を中心とする山上と修道院を中心とする谷間に分かれて発展した。古城址には「青の塔」「赤の塔」「ニュルンベルクの小塔」が遺され偉容を誇る。また廃墟となった広間のアーチはドイツロマネスク様式の最高傑作と讃えられる。

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バート・ヴィンプフェン旧市街        カトリック教区教会               修道院通り

 15時20分駐車場に着く。町に入ってすぐにカトリック教区教会(旧ドミニック修道院教会)がある。その前の木組みの建物が続く修道院通りを進むと、左手に旧市民病院(13世紀前半の石造と15世紀のハーフティンバーの付属棟よりなる)が見えてくる。

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「バート・ヴィンプフェン、木組みの民家」 F0 水彩                     旧市民病院

 ハウプト通りに出て左にしばらく進み、鋭角に右に曲がるとザルツ通り。間もなく福音自由都市教会(13~16世紀の建造)や市庁舎(1836年築の新古典様式)のあるマルクト広場に出る。

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ハウプト通り                  マルクト広場               マルクト広場

 市庁舎の横を進むと町のシンボル「青の塔」がある。シュタウフェン宮殿の西の天守閣として1200年頃に建てられ、19世紀まで見張り塔として使われていた。塔に登るのはかなりきつい。頂上の回廊は狭く人一人が通れるだけで一方通行になっている。ここからは旧市街を一望に見渡せる。西側には手前にマルクト広場を挟んで市庁舎の屋根と福音自由都市教会が見える。青の塔の東側にはシュタインハウスがある。多分当初はシュタウフェン王朝の宮殿の女子宿舎だったようで、ドイツにおける最大のロマネスク住居。

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「青の塔」 F0 水彩           尖塔は福音自由都市教会           シュタインハウス 

 さらに進むと宮殿大広間のアーケードの遺跡がある。13世紀の建造でロマネスク建築の最も美しい例とされる。その隣が元宮廷礼拝堂(13世紀の建造)。その先の突き当りが「赤の塔」。シュタウフェン宮殿の東の天守閣として13世紀に建てられた。この地域特産の赤い砂岩で造られている。すぐ近くにニュールンベルク小塔がある。バート・ヴィンプフェンは30年戦争による壊滅的結末により、その後150年もの間荒廃を続けたが、帝国直属都市ニュールンベルクから経済的支援を受けたのを感謝してこのように名付けられた。

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宮殿のアーケードと元宮廷礼拝堂         赤の塔              ニュールンベルク小塔

 ここから西へ進むと宮殿の南からの入り口に当たるホーエンシュタウフェン門がある。ここからハウプト通り、修道院通りを通って駐車場に戻る。16時20分発。

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ホーエンシュタウフェン門                 「バート・ヴィンプフェン、小広場」 F0 水彩

シュヴェービッシュ・ハル

 シュヴェービッシュ・ハルはドイツの先住民族ケルト人の時代から、塩の産地として知られ発達してきた。12世紀、神聖ローマ帝国フリードリッヒ・バルバロッサの時代には、この町でヘーラー(ハルのお金の意味)という銀貨が鋳造され始め、シュヴェービッシュ・ハルは塩と銀貨の鋳造で大いに繁栄した。

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シュヴェービッシュ・ハル旧市街      ヘンカース橋         コッヒャー川沿いのマウアー通り

 17時30分駐車場着。コッヒャー川に面した広場から出発。川向こうの木組みの家並みが美しい。川沿いに北に向かい、ヘンカース橋(処刑人の橋)を渡る。昔は罪人の処刑がこの橋で行われた。橋の中ほどにある祠は処刑人の家。川沿いにマウアー通りを南に向かう。と左手川越しに市の中心部が眺められる。出発した広場と中州の緑地を結ぶ屋根付きのズルファー橋、ズルファー塔を前景に古い町並みが見える。右手奥の大きな建物はノイバウ。屋根付きのローター橋を渡ると中州にグローブ劇場がある。

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「シュヴェービッシュ・ハル、ズルファー橋」 F0 水彩                   グローブ劇場

 中州はよく整備された公園になっている。旧市街と中州の間に堰が設けられている。このあたりの眺めも大変美しい。中州の遊歩道を引き返し、旧市街へ向かう道を取る。橋からは先ほど見えたズルファー塔とズルファー橋の裏側が見える。塔のある辺りはかっては塩の採掘現場で塔の隣の建物はかっての塩職人組合が入っていた建物。市街に入って下ヘルン小路を南に進む。上下のヘルン小路が合流する辺りの西側に7軒の歴史ある建物からなるハル・フランケン博物館がある。

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ズルファー塔とズルファー橋                     「上下ヘルン小路合流点」 F0 水彩

 東側へ坂を上るとノイバウがある。16世紀の兵器庫で舞踏場としても使われており、

丁度結婚式の披露宴があるらしく前のテラスでおおぜいの人が待っていた。ノイバウの隣に16世紀建造のランゲンフェルダー門が残っている。

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ノイバウ                ノイバウのテラスで    ノイバウと右手・ランゲンフェルダー門

 プファール小路(牧師館通り)を北に進むと聖ミヒャエル教会に突き当たる。マルクト広場に面して建っているが、斜面の頂部にあるので教会に入るには急な階段を上らねばならない。

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プファール小路     「聖ミヒャエル教会とマルクト広場」 F0 水彩    教会からマルクト広場への道

 教会は11世紀頃にはすでにあったようだが、その後増改築を繰り返し今の姿になったのは16世紀。教会内陣裏を通り、隣接した建物の下を潜る門を抜けるとマルクト広場。広場の北側には皇帝も泊まった由緒あるホテル「金の鷲」、その隣に同ホテルのレストランとなっている市役所酒場がある。居酒屋で政治が行われたのでドイツでは市役所の近くの酒場をこう呼ぶ。その斜め前に「魚井戸」。16世紀の築造で、ここで魚を売っていたのでこの名がある。西側、教会と向かい合って市庁舎がある。1728年の大火の後、焼野原をマルクト広場として利用するにあたり、他所にあった市庁舎を移すこととし、バロック様式で1731~35年に築造された。その隣の3棟は元フランチスカーナ修道院だったもの。それぞれ立派な入口がついている。南側の木組みの大きな建物はクラウスニッツアー家。16世紀の建築で大火を免れた数少ないもの。石造だが後に表面に装飾として木組みが加えられた。ハール通りを駐車場に戻る。19時出発。

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魚井戸、その後ろに市庁舎酒場、金の鷲   市庁舎と左手3棟は修道院跡     中央、クラウスニッツアー家
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マルクト広場からハール通りへの道       ハール通り                    小広場

コンブルク修道院

 コンブルク修道院はシュヴェービッシュ・ハルの南方3kmほどの丘の上に建つ。古城のように見えるのは、ブルクハルト・コンブルグ=ローテンブルク伯爵が1078年に城をベネディクト会修道院に寄付し、自ら修道士となったため。ロマネスク様式の聖ニコラス教会は1088年の完成。外回りは自由に見て回れるので夕暮れ迫る中、見学。

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コンブルク修道院、聖ニコラス教会       城門は三重                   奥の城門
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聖ニコラス教会                中庭と回廊                   礼拝堂?
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「コンブルク、ベネディクト修道院、城壁と外界」 F0 水彩                     城壁

シュヴェービッシュ・ハル郊外のホテル・レーバース・ブルグ泊。5月6月はアスパラガスの旬。早速賞味したが美味しかった。

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前菜              スープ          アスパラと魚            魚と野菜

(つづく)