5.11月6日(日)、伊吹島、観音寺、多度津、瀬戸大橋記念公園、宇野
8時ホテル出発。坂出ICから高松自動車道に入り、さぬき豊中ICで降りる。観音寺の有明グラウンド臨時駐車場に駐車、シャトルバスで観音寺港へ。観音寺港9時出航。9時25分伊吹島の真浦港着。
伊吹島
伊吹島は良質なイリコの生産が盛んで全国的にも有名。急坂を上り集落に入ると、道が江戸時代の地割のままなため、細い道がくねくねと伸び、迷路のよう。
坂道を登り始めてしばらく行くと左手にib06 パサング:メラ・ヤルスマ+ニンディティヨ・アディプルノモ、2019年:「パサング」とはインドネシア語で潮流、またはペアを意味する。地元漁師が漁船に持ち込んだ木製の船形おまもり「ふなだまさん」を二つの掌に載せた様子や2艘1組で行うイリコ漁の写真から発想を得た作品が島の奥へと誘うように各所に現れる。
坂を上り切ったあたりの旧伊吹小学校校庭にib01 トイレの家:石井大五、2013年:時間帯によって異なる表情を見せるトイレ。天井や壁のスリットから光が差し、またその影は迷路のような島の路地を連想させる。
旧校舎にはib06とib08 物が見る夢:アレクサンドラ・コヴァレヴァ&佐藤敬/KASA、2022年:2つの教室内に「海の庭」「島の庭」を制作する。「海の庭」は、さまざまな形状の漁網を活用し、教室から見える美しい海や島の風景を借景にした作品。「島の庭」は今は使われなくなった水瓶や釜などを使用した、かっての伊吹島の生活を想像させる作品。
旧小学校を出て少し行くと伊吹八幡神社があり、その近くにもib06。
その先の坂を上るとib03 イリコ庵:みかんぐみ+明治大学学生、2016年:「島の小さな集会所」となる庵を制作。建築素材には、イリコの加工に使うせいろや島の石垣、瓦、廃材などを使用。
坂を上り切ったあたりに西の堂荒神社があり、祭りの準備かなかなか豪華なもの。
坂を下っていくと北浦港側が見え、ib05 伊吹の樹:栗林隆、2019年:伊吹島には出産前後を女性だけで集団生活し、家事から解放され養生する風習があり、その場所を出部屋と呼んでいた。生命の誕生の場である出部屋の跡地に、作家は生命の樹を植えた。巨木が横たわり、空へと根(ルーツ)を伸ばし、母胎を表す木の中に入ると無数の鏡に映し出された空と海に包まれる。自然をうまく生かしている。
割合平坦な道を進むと地図上はIB07に出くわすはずだが、ウクライナ情勢の影響で中止とのこと。その先を進むと右手にib09 つながる海:ゲゲルボヨ、2022年:インドネシアの6人組が、島国である日本とインドネシア間の類似性を表現した作品を作る。作品の舞台となる旧郵便局は約100年前に設置されたもの。
その先を突き当たって左に進むと、ここにもib06がある。
少し戻って左左と坂道を下る。最後はものすごい急坂で、おっかなびっくり用心しながらどうにか下り切る。ここにib10 海辺の歌:マナル・アルドワイアン、2022年:アラビア湾岸文化圏では、船乗りの無事を祈って、ナツメヤシの葉で編んだ篭に火を灯し、海に漬けて治めるという祈りの儀式がある。伊吹島で木造船を作っていた旧造船所を舞台に展開される、祈りのインスタレーション。
海岸沿いに真浦港に戻り、土産に伊吹イリコを買う。12時真浦港出航。
観音寺
12時25分、観音寺港着。12時45分、道の駅「ことびき」の駐車場に入り、土産を買う。2階に世界のコイン館があるがパス。知覚の銭形展望台まで行く「銭形砂絵・寛永通宝」を見る。東西122m、南北90m、周囲345mもある巨大な砂絵で、琴弾山山頂から見るときれいな円形に見えるという。寛永10年(1633)、藩主生駒高俊公を歓迎するために、一夜にして作り上げられたと伝えられる。13時20分銭形展望台発。
多度津
さぬき豊中ICから善通寺ICまで高松自動車道を走り、多度津の古い町並み近くの駐車場に着く。川湊に平行に伸びる浜ノ町筋、仲ノ町筋、南町筋の三本の街路沿いには、後に「多度津七福神」と呼ばれる豪商の本邸や別邸が建っており、通し屋敷として大きな敷地を有していた。天保9(1838)年に多度津湛甫(のちの多度津港)が建設され、港湾施設が移ったため、通し屋敷を半裁家にするなどの土地細分化が進み、町並みの姿は変わって行った。一方で多度津金毘羅街道沿いに成立した商家街として賑わった本町筋沿いの町並みは、現代まで商店街として機能が保たれたこともあって、伝統建築が今なお多く残っている。
かって川湊があった桜川沿いに進み、橋を渡って浜ノ町筋に出る。右手西に向かって進むとta21 多度津街中プロジェクト:尾花賢一、2022年:多度津に伝わる「一太郎やあい」という、日露戦争時の愛国美談として当時の国定教科書にも掲載されたお話をベースに、そこに描かれなかった別離の哀しみ、母の愛を、海の要所として栄えた多度津の歴史を重ねあわせ、史実からも跳躍した物語として再構築する。展示されているのは旧塩田家土蔵で、ものすごく太い梁材など往時を偲ばせる立派な建物。
本町筋に突き当たって左折ししばらく行くと左手にta21 多度津街中プロジェクト:山田悠、2022年:満月の夜に、月が街の建物のシルエットに接している写真を連続で撮影し、それらを繋ぎあわせてストップモーションビデオにしたもの。映像を見た人が普段と違う町の風景を発見することを願っている。展示されているのは旧吉田酒造場。
その先へ進むと川端筋と交差する右手の角に多度津町指定有形文化財の合田邸がある。近世から近代にかけて活躍した当主三代にわたって順次建築整備した大邸宅。街道に面している店棟は昭和9年の建築で、つし2階建ての古い形式、北に接する応接室は洋風。本町筋の拡張に伴って建て替えられたものと思われる。主屋は明治28年上棟の合田邸で最も古い建物。庭の北側に大広間があり昭和11年頃の建築。東側に茶室がある。庭の西側に昭和2年建築の離れがあり1階の四周と西側を除く2階の大部分にガラス建具をはめ、戸袋もガラス貼りにする念の入れよう。中庭の南にある洋館は昭和6年の建築。離れと土蔵の奥にはレンガ倉庫がある。
仁に本町筋と浜ノ町筋の交差点近くに車を回してもらい、15時10分出発。
瀬戸大橋記念公園
15時55分、瀬戸大橋記念公園の海際の駐車場着。瀬戸大橋記念館の隣の海に面した小公園にsm10 八人九脚:藤本修三、2013年:8人掛けのバンチで雄大な瀬戸大橋を眺めるのに最適の場所。16時出発。
宇野
坂出北ICから入って瀬戸大橋を渡り、児玉ICで降りて17時、宇野港の駐車場に着く。昔来た時とはすっかり様子が違っている。
産業振興ビルの先の岸壁にun04 宇野のチヌ/宇野のコチヌ:淀川テクニック、2010,2016年:瀬戸内で作家自ら集めた漂流物や家庭の不用品で制作されたオブジェ。「宇野のコチヌ」は滑り台になっており、子供たちに大人気。
駅前大通りに面した公園にun02 船底の記憶:小沢敦志、2013年:旧日本軍の軍艦の錨とノルウエー船のスクリューを利用。鉄のパーツは足され、海底の付着物や人の記憶が年月で増えるように作品も増殖する。
宇野駅の隣にun03 終点の先へ:小沢敦志、2016年:放置自転車に鉄くずを溶接し、アートな自転車に再生。レンタルできる。
隣の宇野駅はun05 JR宇野みなと線アートプロジェクト:エステル・ストッカー、2016年:JR宇野みなと線の4駅(常山駅、八浜駅、備前田井駅、宇野駅)を白と黒のラインで装飾した。ありふれた光景が一変し、駅ごとに変化する風景が楽しめる。
駅前から伸びる築港商店街を西に進むと左手にun11 時間屋:長谷川仁、2022年:上から一筋の塩が流れ落ちている。46億年前からずっと海に溶けていた塩を取り出した作家は、それを時間と一緒に量り売りする。自然の恵みをつつましくいただいて生活を営む、そんな暮らしに憧れて。
その先を進むと左手にun10 実話に基づく:ムニール・ファトウミ、2022年:作品会場は、半世紀以上にわたって病院として使用された後、40年近くそのままになっていた商店街の建物。破壊され新しいものに置き換わる建築の問題に取り組んでいる作家が、20年ほど前にパリ郊外で撮影された建築物の映像と写真を旧病院内部で展示する。
来た道を引き返すと、左手の奥まった建物にun12 赤い家は通信を求む:片岡純也+岩竹理恵、2022年:80年以上前から人が暮らした赤い壁の小さなおうち。増改築された空間から、かっての住人とモノが過ごした時間と気配を感じた作家は、時代とともに役割を失ったまま遺されたモノたちをゴーストとして再生させる装置を生み出した。
18時10分宇野港出発。
途中渋滞もありレンタカーの店に着いたのは19時10分。岡山駅で弁当を買ったが時間が遅いので残っているのはわずかなもの。「桃太郎の祭寿司特選」を買う。車中で食べたが結構美味しかった。岡山駅19時46分発ののぞみ58号に乗り、22時38分新横浜着。タクシーで帰る。
おわりに
瀬戸内芸術祭を鑑賞するのは今回が初めてだが、回数を重ねて地元ともなじんできている印象を受けた。過疎化の進む島々の地域振興に少しでも役立ってほしいものと思う。天候に恵まれ瀬戸内の美しい自然の中をアートを楽しみながら周遊できたのは大変楽しい経験だった。何分足腰が弱ってきていて、かなりきつい行程ではあったが体の調子を整えるのにはよかったように思う。今後も歩ける限り旅を楽しみたいと思う。
* 次は「旅の絵日記:2009年フランス」の予定です。