7.七日目(7月12日(木)、トリガンス、レ・テュルビ、ロクブリュヌ・カップ・マルタン、マントン
トリガンス
朝食前に城の屋上をスケッチ。泊まった部屋を出たところの屋上テラス席で朝食。朝食はパンと飲み物、ヨーグルト、果物だけのいわゆるコンチネンタルで簡素なもの。
朝食の前後に城の見学、写真の撮影をする。客室は屋上にある部屋だけのようだ。村側のテラスからトリガンスの村が一望に見下ろせる。こじんまりした村だ。
ホテルを出発し、村を前景に城の写真を撮る。絵になる風景だ。
昨日、逆光で写真がうまく撮れなかったので、再度ポン・ド・ラルツビィまで戻ったが、谷が深く明暗のコントラストが強すぎてやはりうまく撮れない。
D71、D21、D6085を経由して進む。10時45分、香水の生産で有名なグラッセの峠で一休み。野生のヤギが草を食んでいる。D6185、A8、E74経由でエズに向かう。途中、A8の車線を間違えてカンヌまで行って引き返す。エズの手前で大富豪の別荘が多くあるフェラ岬を通り過ぎる。
南フランスのコート・ダジュールに点在する鷲の巣村の代表的な存在として知られるエズに着いたが、駐車場が満杯で空きがない。しばらく待ったが空きが生じないので残念だがエズの村に行くのは諦め 写真を撮るだけにしてE74、E80経由でラ・テュルビィを目指す。
ラ・テュルビ
アウグストウス帝戦勝記念碑、通称「アルプスのトロフィ」があるので知られる小さな村。アウグストウス帝戦勝記念碑へ行ったら昼休みで入れず、村を見物し、レストランで簡単な昼食を摂って、開くのを待って入る。
ローマ皇帝アウグストウス帝が同地のリグリア人部族を退けて平定し、紀元前6年に建てたもの。このような形の建造物は他に例が無く大変珍しいとされる。博物館があり関連の展示が見られる。裏の高台へ行くと地中海とモナコ市街が眼下に一望できる。E74経由でロクブリュヌ・カップ・マルタンに向かう。
ロクブリュヌ・カップ・マルタン
マルタン岬を見下ろす崖の上にある、この地方に点在する「鷲の巣村」の一つ。迷路のような石畳の路地と石造りの家並みが魅力とされる。我々のお目当ては頂上にあるロクブリュヌ城。予約が無いので行けなかったが、ル・コルビュジェが奥さんに贈った休暇小屋があり、世界遺産となっている。
15時5分駐車場に着く。村に入ってしばらく行ったところに広場があり、岩の上にロクブリュヌ城が見える。広場の一方には岩がそそり立ち、洞窟のレストランがある。
迷路のような路地を辿る。建物に挟まれた狭い路地は谷間のようで、しょっちゅう建物の下をくぐり抜ける。建物は南仏らしく色彩豊か。坂を上り詰めると城門に出る。
ロクブリュヌ城は10世紀にヴァンティミュ伯爵によって建てられた。城門のところにある受付で手続きを済ませて進み、中の門を潜ると本丸に出る。
城館❼は1157年から1395年の間、ジェノヴァ共和国によって指名された城主が住んだ戦闘用砦だった。城館へは少し上がって天守閣から入る。
最初の部屋は井戸などもあり、てっきり中庭かと思ったら大広間❸だった。以前は屋根がかかっていて宴会や儀式に使われていたとのこと。その奥が守衛の部屋❹、普段の守備隊は城主(辞令無しの将校)と6人の弩弓兵で構成されていたとのこと。同じ階に牢獄❺、一つ上の階に弩弓兵の部屋❻がある。
その上の階が城主の住居で武器庫❽、居室(普通の部屋)❾、台所➓からなる。屋上のテラス⓬、天守閣を巡って城壁沿いに周回路⓫が設けられており、機動的に移動できるようになっている。ここからは周囲の景色が一望に見渡せる。パステル画はここからロクブリュヌ・カップ・マルタンの風景を描いた。
帰りは別の道を通り、サンテ・マルグエリーテ教会によって駐車場に戻る。16時25分出発。D6007経由でマントンに向かう。
マントン
コート・ダジュールの最東端、イタリアとの国境に接した町。フランスで最も温かくレモンの産地として知られる。2月のレモン祭がこの町最大のイベント。
<熱帯公園ヴァル・ラメ>
まず町の東方にある熱帯公園ヴァル・ラメへ行く。別荘の跡で、熱帯植物を中心とした庭園が有名。サボテンの仲間と思われる黒い花などいろいろ珍しい花が見られる。池にあった鬼蓮はさすがに大きい。
<マントン旧市街>
市庁舎近くのホテル・マントン・メディテラネーにチェックインし、旧市街の観光に出かける。ホテルを出て共和国通りを進むと左手に市庁舎がある。ここの「結婚の間」はジャン・コクトーの壁画に囲まれているという。右折してサン・ミッシェル通りを横切り海岸通りに出る。ここから左手に白色苦業会礼拝堂、右手にサン・ミッシェル教会の聳える眺めはなかなかで、水彩スケッチはこれを描いた。
海岸通りを進むと前方に要塞のような建物が見えてくる。これがジャン・コクトー美術館。17世紀に放棄された要塞バスティオンをコクトーが自分の作品のための美術館とすることを提案し、1966年にオープンしたとのこと。
コクトー美術館に連なって旧港があり、たくさんのヨットなどが係留されている。その隣は海水浴場になっていて大勢の人で賑わっていた。
旧港からサン・ミッシェル通りに入り、しばらく行くとサン・ミッシェル教会に続く階段に出る。階段を上っていくと、脇に昔の町の様子を描いた壁画があり、色鮮やかでなかなか面白い。
サン・ミッシェル教会は1639~53年建造のバロック様式。広場は広くないが何か催し物をやるようなしつらえがなされていた。下方には旧港が良く見える。上を見れば広場の続く先に白色苦業会礼拝堂が見える。
広場の先からヴュー・シャトー通りを上る。狭いがきれいに舗装されており、カラフルな街並みが続く。上り詰めたあたりに旧城があったらしく、壁に説明板が掲げられている。それによると旧城は卵形平面の2階建てであったらしい。
旧城の跡は現在は墓地になっている。かなり広く礼拝堂もある立派なものだ。墓地からはマントン谷通りを下る。前方左手に、左に白色苦業会礼拝堂、右にサン・ミッシェル教会の塔が並んでいるのが良く見える。右手に黒色苦業会礼拝堂の横を過ぎて進むと旧港に出る。途中で仁たちとはぐれてしまったが、旧港近くでうまく落ち合えてよかった。
サン・ミッシェル通りに面した広場の野外テラス席で夕食を摂る。生牡蠣があったので注文したが美味しかった。
サン・ミッシェル通りを帰る。娯楽施設などもあり、明るくにぎやかな通り。市庁舎の前を通ったら、三色旗にライトアップされていておしゃれな感じ。
(つづく)