3.三日目(10月13日(日)、シルミオーネ、グラダーラ、サンレオ
シルミオーネ
朝食を済ませ観光に出かける。昨日と同じコースでスカラ家の城塞へ。スカラ家の城塞は第一段階として本丸の建設に取り掛かったのが1277年。14世紀に第二段階として二の丸が追加された。1405年にシルミオーネを征服したヴェネティアによってそれまでの木造の船溜まりの城壁が改築されて完成した。城塞立体図は最終形態を示す。天守閣の高い塔のあるのが本丸、その手前の狭い部分が二の丸、手前の広い部分が船溜まり。



カステッロ広場に面した市街からの入り口から入る。跳ね橋があったようだが今はない。1405 年にシルミオーネはヴェネティアに征服されたので城門の上にヴェネティアのシンボル、サン・マルコの獅子が飾られている。城門を入ると本丸中庭。南側に外からの城門があるが、本丸と二の丸の半月堡がくっ付くように並んでいてそれぞれに跳ね橋がある。北側の城館と天守閣の間を階段が伸びていて、これを上がると上部の胸壁に到る。






四角い城壁上に回廊と胸壁が巡っている。東側を見下ろすと城壁に囲われた船溜まりが見える。入り口は南東隅に狭く開いているだけ。左手には城壁を巡る濠が見える。



南側を見下ろすと二つ連なって本丸と二の丸の半月堡が見える。その向こうに南側の湖岸の付け根に向かって半島が伸びている。南西側には市街への城門と礼拝堂が見える。



天守閣に登るとカステッロ広場越しにガルダ湖が広がりなかなかの眺め。水彩スケッチはこれを描いた。北側には市街地の屋根越しに半島の突端部が見える。


下に下りて二の丸に行き、船溜まりとの間の胸壁から船溜まりの写真を撮った後、城塞の南側を見て歩く。パステル画は南西側から城塞を中心に描いた。






旧市街に戻りダンテ通りを通って北の城壁から出て、岬の先端への遊歩道を進む。水彩スケッチは振り返って旧市街を見たところ。





温泉の排水が流れ出ているところがあり温かい。耳鼻科の病に効能がある温泉地として有名。断崖絶壁の手前で左折して坂道を上ると遺跡に出る。



<カトウッロの洞窟>
ローマ帝政初期最大の別荘の遺跡で2000年前の物。壮大な規模に驚く。大規模な貯水槽があり、地表面はレンガ敷きの床で、天水を地下の貯水槽に集めるようになっている。岬の周囲の海岸は黄金色の海岸と呼ばれ、岩棚があって水深が浅く、水浴の適地として親しまれている。





















遺跡を出てホテルへ戻る。途中サン・ピエトロ・インマヴィーノ教会の脇を通る。シルミオーネ最古の教会で8世紀の建築。鐘楼は11世紀に建築された。現在の建物は14世紀に再建され、18~19世紀にファサードが改修されている。古いフレスコ画が残っているとのことだが、時間が無いのでパス。
11時15分ホテル出発。シルミオーネの半島付け根根を出たあたりで自転車競技の一団に遭遇。車を停められて待っていたのにうっかり写真を撮るのを忘れて残念。SP13、A4/E70、A22/E45、A1/E45、A14、SP17、SS16、SP47経由でグラダーラに向かう。
グラダーラ
マラテスタ家の城塞があり、保存状態の良好な、城壁に囲まれた中世の建造物が残る村。「イタリアの最も美しい村」加盟。


駐車場の前に壮大な城壁が立ちはだかる。小広場には古井戸があり、何気ないが趣のある風情。後からできたのか城門への道の両脇にも古い建物が建ち並んでいる。



村の城門から城塞へまっすぐ伸びる坂道を上がると城塞に着く。城塞の城門と内側の門の間、右手に13世紀建造のサン・ジョヴァンニ教会がある。中に入ると割合にこじんまりした教会。城壁にはめ込まれた面があり、美也子はさっそく手を差し入れてみる。






グラダーラ城は1293~1324年にかけて城塞化されたもので、現在は国立博物館になっている。ダンテの「神曲」地獄編で描かれた「パオロとフランチェスカの悲恋」の舞台となった中世の城。城塞内はかなり広く現在は芝生で覆われている。一番奥に城館があり、空堀で囲われている。かって跳ね橋があったらしい入り口から入ると中庭に出る。中庭は3方を回廊で囲われている。2階は2方を回廊で囲われていて吊り橋が架かっている。






城館を出て右手の道を進み城壁に登ろうとしたが、出口はあるが入り口はない。城壁沿いに中央城門へ向かう途中、日曜のせいか催し場のような場所で中世の衣装を着けた人たちが踊りや剣技を披露していた。



脇の城門を過ぎ、中央の城門近くまで来たら中世衣装の人達が当時の遊びを披露していた。



中央城門を入った辺りは中世衣装の人達がたむろしていて、水彩スケッチはこれを描いた。
中央城門脇の観光案内所で城塞への入場券を見せると城壁へ上らせてくれた。城壁の上から風景を楽しみながら歩く。水彩スケッチは城塞方向を見たところ。催し場での踊りが良く見えた。




16時出発。SP47、SS16、A14/E55、SS72、SP158R、SP258、SP22経由でサン・レオへ向かう。途中サン・マリノ近くで自転車競技のルートにぶつかり迂回を指示される。丘陵の田園地帯に入り込み道に迷う。仁はカーナビの指示が悪いと不平たらたら。どうにか抜け出したがだいぶ時間をロスした。
サン・レオ
サン・マリノの西方約20kmにある岩山の頂上に建つ城塞とその麓の中腹にある小さな村。
深い谷に架かる橋がサン・レオへの唯一のアプローチ。橋を渡り、村の城門を入って真っすぐ進むと教会、村役場のあるダンテ・アリギューリ広場に出る。水彩スケッチはここから集落と城塞を描いた。


引き返して城門の傍にある道を城塞に向かって登る。村を抜けると坂道は急になり折り返し点に堡塁が建っている。城塞にたどり着くのはかなりの道のり。城塞へはぎりぎり閉館前に入ることが出来た。



サン・レオ城はローマ人によって築かれ、以後しばしば拡張され、15世紀にウルビーノ公が要塞化した。
城砦の裾のアプローチを進むと下のテラスに出る。円形堡塁の最上階への入り口になっていて、内部には武器などが展示されている。






下のテラスは西に向かって開いており、大砲などの展示されている城塞前の広場とサン・レオの集落の向こうにアペニン山脈のパノラマが望める。



階段を上って城館に入ると上のテラスに出る。ここは東に向かって開けていて山の上のサン・マリノが眺められるる。城館内部は昔の状態に補修されており、武器などが陳列されている。






下のテラスに下りると丁度アペニン山脈に日が沈むところで大変きれいだった。
地階を通って出口に向かうと円形堡塁の横に出た。






帰りの坂道で途中ダンテ・アリギューリ広場に通じる道の降り口を通ったが元来た道に戻る。城門からの路に面して小さな礼拝堂とそばに城門があった。



街並みには灯りが入りなかなかきれい。ダンテ・アリギューリ広場に戻って教会に入る。入り口は奥に回って村役場に面したほうにある。丁度パイプオルガンが演奏されていた。
外に出ると城塞がライトアップされていてなかなかきれいだった。






夕闇の中、一路北へ向かって走り、ベルッキオのホテル・ベネッセレ・デル・カステルにチェックイン。城壁の外に駐車場があり、城壁の下からホテルに入れるようになっている。
ホテルの食堂で夕食を摂る。




(つづく)
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