5.五日目(10月15日(火)、アッシジ、サン・ダミアーノ修道院、スポレート

アッシジ
アッシジはオリーブの丘の上に中世の趣を伝える石造りの町で、フランチェスコ会を創設したサン・フランチェスコの出身地で世界遺産。
朝食前にホテルのテラスから霧のかかったアッシジの旧市街をスケッチ。




8時にホテル出発、サン・ピエトロ門に面したユニタ・デ・イタリア広場の駐車場に駐車し坂道を上る。左手にサン・フランチェスコ聖堂が見える。



サン・フランチェスコ門を入るとすぐに四つ辻に出る。ここで鋭角に左折しエリア通りを上るとサン・フランチェスコ大聖堂への門があり、ここを入ると両側に回廊を巡らしたサン・フランチェスコ広場に出る。パステル画はここから大聖堂を描いたもの。




サン・フランチェスコ大聖堂は1228~53年の建造。聖堂内は撮影禁止。斜面を有効活用し2層になっている。サン・フランチェスコ広場から1228~30年建造のロマネスク様式の下の聖堂に入る。聖堂から西側に出ると修道院の中庭の2階回廊に出る。



回廊には古いフレスコ画が残っており、中庭中央には井戸がある。反対側まで回ると聖堂後陣の様子がよく分かる。



一旦外へ出てサン・フランチェスコ広場から階段を上って上の聖堂前広場に出る。ここからはサン・フランチェスコ広場から上る階段と道路の様子がよく分かる。
上の聖堂は1230~53年建造のゴシック様式でジョットのフレスコ画「サン・フランチェスコの生涯」が素晴らしい。上の広場には騎士として出征したが戦わずして帰還したサン・フランチェスコの騎馬像がある。






上の広場から続くサン・フランチェスコ通りを進む。アッシジのメインストリートで13~15世紀の建物、フレスコ画が残っている。チャペルがあったので立ち寄った後さらに進むと左手の上からの道との合流点の角にコモの親方たちの館があった。15世紀頃、ロマネスク様式の教会を建てるのにコモ地方からやって来た石工たちが住んでいた館とのこと。



その先右手にモンテ・フルメンターリオの柱廊がある。1267年、貧民を収容する病院として建てられたもので、壁に古いフレスコ画の断片が残っている。美しい目を引く建物だからすぐわかる。その隣がオリヴィエッラの泉で16世紀の物。
そのすぐ先に1200年代の城壁の門がある。サン・フランチェスコ通りだからではなかろうがサン・フランチェスコ像のステンドグラスなども見られる。






左手の市立博物館を過ぎるとコムーネ広場に出る。ここがアッシジの中心でローマ時代のフォロ(公共広場)の跡。ローマ時代からの遺構、市庁舎などの歴史的建造物が建ち並んでいる。西側には市立博物館、北側には隊長の館、ミネルヴァ神殿跡、南面の東端にプリオーリ宮が建っている。広場東寄りに泉がある。



隊長とは市長のことで隊長の館は13世紀建造の白い宮殿。1305年完成の見張り塔はポポロの塔と呼ばれる。その隣のミネルヴァ神殿はもともとは起源前1世紀に建造されたものだが、16世紀に内部を改装してサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会が造られた。



プリオーリ宮は13世紀末から15世紀前半に建てられたゴシック様式の建物で、現在は市庁舎に、一部は国立ウンブリア美術館になっている。



コムーネ広場を後にしてサン・ルフィーノ通りを上るとドウオーモ(サン・ルフィーノ大聖堂)のあるサン・ルフィーノ広場に出る。ドウオーモはアッシジの守護聖人サン・ルフィーノにささげられたもので11世紀の古い教会の上に1228年にロマネスク様式で建てられた。ウンブリア州でも最高傑作の一つとされている。鐘楼は古い教会の物が残っている。地下に古い遺構が残っている。






サン・ルフィーノ広場から大城塞が見える。大城塞目指して急な坂道を上る。所々階段になっているところもある。案内の標識もしっかりしているので道に迷うことはない。



大城塞はローマ時代に造られ、その後壊されたが、14世紀に現在の姿に建て直されたもの。城壁で囲まれた入り口から入ると本丸で城壁に沿って進み、階段を上って城郭に入る。



内部には当時の武具や衣装を着けた人形が展示されている。



城郭を出て本丸から西に向かって伸びる北の城壁を進む。厚い城壁の上部は壁と天井で覆われた通路になっている。



西端にある隅櫓からは大城塞の様子がよく分かり、アッシジの町やウンブリアの平原を一望できる大パノラマが広がる。うっすらと霧が架かっているのが惜しまれるが昨夜泊まったホテルもよく見える。






大城塞から元来た道を引き返し、坂道途中の店で一休み、軽い昼食を摂る。
コムーネ広場に戻り、プリオーリ宮の横の道を抜けるとヌオヴァ教会がある。サン・フランチェスコの生家の跡に1615年にゴシック様式で建造されたもの。教会広場に二人の像が立っている。






コルソ・メッツイーニ通りを進むと、蔓細工の花入れに飾られた花や、建物の下を潜る路があったりなかなか面白い。古い城壁の城門を潜るとサンタ・キアーラ教会のあるサンタ・キアーラ広場に出る。



サンタ・キアーラ教会はサン・フランチェスコの忠実な弟子であったサンタ・キアーラにささげられたもの。13世紀建造のイタリアゴシック様式の建物で白とバラ色の石灰岩の縞模様のファサードが美しい。教会正面左に取り付けられた構造物はゴシック建築の特徴であるフライングバットレス。尖頭アーチの左に押し出す横力を受け止めるものだが、このようなデザインのものは他に見たことがない。内部にはサン・フランチェスコに話しかけた十字架のキリストの板絵の本物が架かっており、地下にはサンタ・キアーラの墓がある。



サンタ・キアーラ広場からの眺望も素晴らしく、谷越し左手にサンタ・マリア・マッジョーレ教会、右手にヌオヴァ教会のドームやポポロ塔などが見える。
広場からフォンテベッラ通りを進む。飾り金物の面白い家があった。



そのうちにサン・フランチェスコ門手前の四つ辻に出る。角の建物と道路の交差する様子が面白い。水彩スケッチ、パステル画はこれを描いた。



絵の右手の坂道を下るとサン・ピエトロ門とサン・ピエトロ教会の前に出る。サン・ピエトロ教会は13世紀建造のロマネスク様式の建物で、正面の三つの薔薇窓が美しい。ドームも13世紀の物。



サン・ピエトロ門外の駐車場に戻り14時出発。ヌオヴァ門の南1.5kmにあるサン・ダミアーノ修道院へ向かう。
サン・ダミアーノ修道院
「清貧の聖者サン・フランチェスコ」の人生の起点となった所。富裕な商人の一人息子として生まれ、放蕩生活を過ごしていたフランチェスコが1206年にサン・ダミアーノ教会の十字架から「早く行って私の壊れかけた家を建て直しなさい」という神の声を聞き、一人で石を積みながら修復した礼拝堂と言われている。父の財産すべてを投げうって、私財を貧者に分け与え、人生を通して唱えた清貧の精神はこの教会から生まれた。
駐車場からの道筋や修道院周辺には多くのフランチェスコ像が据えられている。



正面のアーケードから入るとサン・ジローラモ礼拝堂があり、その奥にサン・フランチェスコが最初に修復した古い礼拝堂がある。奥の聖職者祈祷席にはフレスコ画の聖母子像が描かれている。






隣接してサンタ・キアーラが1212年に創設した修道院がある。男女別修道会制の女子修道会で教皇から許可が出たのは1253年とのこと。修道院の礼拝堂はサンタ・キアーラが息を引き取った所と言われている。サン・ダミアーノ修道院の回廊にはフレスコ画や浮彫、サン・フランチェスコが兎に話しかけている像などが見られる。水彩画スケッチはサン・ダミアーノ修道院の中庭と回廊を描いた。





修道院の食堂には「最後の晩餐」のフレスコ画がある。庭にもサン・フランチェスコの像が立っている。



14時30分出発。SP251、SP249経由でスポレートを目指す。
スポレート
紀元前241年に建設されたローマの植民都市スポレンティウムが起源。570年に自治権を持つスポレート公国となった。1201教皇領になった。


15時30分スポレート着。旧市街の駐車場は満杯でテッスイーノ河畔の駐車場に駐車。橋の傍にあるエスカレータを乗り継いでデッラ・ロッカまで登り、その先のエレヴェータでアルボルノツイアーナ城塞へ。城館の周りを一周しながら入り口に向かう。南東眼下に塔の橋が見えた。






アルボルノツイアーナ城塞は1359~70年建造。城館は市長用のコルティーレ・ドノーレと軍用のコルティーレ・デル・アミルの二つの部分からなっている。ルクレツィア・ボルジアがスポレートを治めた際にもこの城に住んだとのこと。
入り口から入るとコルティーレ・ドノーレの中庭に出る。井戸があり、尼僧の回廊が巡らされていてフレスコ画が描かれている。



つなぎの部分の通路にもフレスコ画が残っている。これを抜けるとコルティーレ・デル・アミルの広い中庭に出る。こちらは軍用ということで実用的な印象。






コルティーレ・ドノーレは現在は国立スポレート公国博物館となっているが、その展示や建物を見学した後、デッラ・ロッカ通りに戻って南西方向へ進むと右手にドウオーモの尖塔やドームが見え、カンペッロ広場に出る。マセローネの泉がある。






サフィ通りを進むと左手に市庁舎がある。元コムナーレ宮で13世紀の建築。一部は市立美術館になっている。右手はドウオーモへの坂になっていてなかなか美しい。水彩スケッチはこの風景を描いた。


ドウオーモは古代のサンタ・マリア・デル・ヴェスコヴァド教会の跡に12世紀の末期にロマネスク様式で再建されたもの。ソルステルノ作のモザイクがファサードを飾っている。フィリッポ・リッピ描く「聖母の物語」の一連の絵画が素晴らしい。












ドウオーモ広場に面してドウオーモ向かって左に16世紀建造のサンタ・マリア・デッラ・マンナ・ドーロ教会が建っている。これに続くのがメリッジ劇場と市立博物館。メリッジ劇場はスポレートで最も古いもので17世紀に復活された。
市庁舎前の通りを進むとメルカト広場に出る。メルカト広場はローマ時代から町の最も活気あふれる場所で1746年と1748年に建造された「広場の泉」がある。



メルカト広場から南に進み、突き当りのサン・タンサーノ教会のところで右折して進むとリベルタ広場に出る。古い建物を利用した観光案内所があり資料を頂く。



隣接してローマ劇場があるはずだが時間が無いので見ずにコルソ・メッツイーニ通りを北上する。17世紀半ばバロック様式のサン・フィリッポ・ネリ教会の前を通って駐車場へ戻る。



18時出発、テッスイーノ川を渡り、向かいの山の中腹にある宿へ向かう。
レジデンツア・デポカ・エレモ・デッレ・グラツエ
宿はナポレオンも滞在したことがあるという由緒ある古い別邸を利用してホテルとしたもの。夕食を楽しんだ後、公開されている別邸の部分を見て回る。礼拝堂のような部屋や書庫のある書斎、食堂、談話室など豪華なもの。ワインセラーの洞窟もかなり広い。


















(つづく)