はじめに
4月30日、5月1日金沢の観光に出かけた。亜矢さんがクルージングのコンダクターとして10日間でかけるので、残された仁から誘われてのこと。
東戸塚6時9分発で東京へ。駅構内の弁当屋「祭」で弁当を買う。丁度仁と一緒になる。東京7時20分発かがやきで金沢へ。途中弁当で朝食を済ませ、眠っている間に金沢に着く。
駅前のニッポンレンタカーで車を借りて出発。
ひがし茶屋街
金沢三茶屋街の一つ。1820年東西二ヶ所に遊郭を設けて、その区画のみ茶屋の営業を許可したのがはじまり。明治に入って主計町にも茶屋街が設けられた。ひがしは豪商、文化人、にしは一般庶民、主計町は官僚、役人と利用する人が限られていた。
10時30分東山駐車場に着く。金箔の店や有名なきんつばの店中田屋などがある一番丁に続く道を通って、ひがし茶屋街へ行く。ちょっとした広場があり、メインストリートの二番丁を進む。ひがし茶屋街重要伝統的建造物群保存地区。建物は2階が通りに張り出している。町人の住むエリアでは2階建ての建物は禁止されていたが、囲われた茶屋街のみ許可されていた。1階は細い木の格子が取り付けられており、紅殻の建物が多い。
二番町に入ってすぐ左手の「志摩」は重要文化財で江戸時代そのままの建物が残っており、一般公開されている。大勢の外国人のグループが道路をふさぎ、代わる代わる赤い和傘をさす女性の写真を撮っていた。



その先、右手にある「懐華楼」は市指定保存建物で江戸時代後期の茶屋街建築様式を伝える物。規模はこの界隈で最大で格式も高い。
さらにその先にある「旧かみや主屋・土蔵」は市文化財で明治6年頃の建築。通りの突き当りに加賀麩の不室屋があり、隣が茶屋になっている。美也子はここで土産に麩の汁ものを買う。



卯辰山麓伝統的建造物保存地区
金沢藩が一向宗の監視と金沢城の防衛機能強化の目的で三つの寺町を形成したものの一つ。卯辰山山麓寺院群を主体とした地区。ひがし茶屋街の奥に連なる。
茶屋街の少し先に宇多須神社がある。718年卯辰治田門天社として創建され、前田家二代利長公がその境内に金沢城の鬼門鎮護の神として八幡宮を建てて藩祖利家公を合祀した。明治に入って利家公の神霊が尾山神社に遷座された後、背景の卯辰山の本名卯多須山に因んで改称された。毎年節分祭には芸妓衆が踊りを奉納し、多くの見物人が訪れるとのこと。
卯多須神社の先から山手に入ると慈雲寺、蓮昌寺、西養寺がある。いずれも階段を上った所に建っている。






古い町並みが残っているのは少ないが、これを進むと左手に円光寺がある。その先を進むと小公園があり、右手に本光寺への階段がある。



小公園の左手に進み土塀に突き当たった左手が常福寺だが、中は草ぼうぼうの状態。右手を見ると正面に金性寺、右に妙正寺があり、格調のある風景。妙正寺は山門の構えは立派だが中は荒れていた。



金性寺の山門には大きなわらじがぶら下がっていた。金性寺前の通りの右手奥に妙国寺の山門が見える。左手へ進むと妙泰寺がある。山門は高麗門と呼ばれる城門に多い形式で市文化財。お寺はまだまだあるがこの辺で切り上げて国道へ出、浅野川の方へ戻る。






主計町茶屋街
浅野川まで来ると、川向こうに主計町茶屋街が見える。浅野大橋を渡って橋の袂右手の道が茶屋街のメインストリート。入ってすぐ左手に源法院というお寺がある。



少し先左手の細い路地を進むとあかり坂がある。もとは名のない坂だったが、地元の依頼を受けて2008年に作家の五木寛之氏が命名したもの。



左へ入る次の道を進むと暗がり坂がある。泉鏡花の通学路で、坂を上がった先に泉鏡花記念館がある。暗がり坂に通じる通りの右手に主計町事務所があり、芸妓の稽古場などとして使われている。



メインストリートに戻り突き当たって右折すると浅野河畔に出る。桜の古木が立ち並び鏡花の道と名付けられている。茶屋街が切れるあたり、中の橋の袂に主計町緑水苑がある。金沢城の内堀があった「西内惣構濠」を活かして整備されたもの






鏡花の道を戻り浅野大橋を渡った近くの「やつはし」にはいる。丁度12時だった。おすすめの能登豚丼を摂る。焼いた豚肉の量がすごく多く美味しかった。
駐車場に戻り13時30分出発。谷口吉郎・吉生記念建築館へ向かう。
谷口吉郎・吉生記念建築館
建築家谷口吉郎の住まいの跡地に吉生の設計で建設され2019年7月開館した。
13時40分、犀川沿いの犀星の道と名付けられた道路に面した金沢モリス教会隣の駐車場に着く。金沢モリス教会はレンガ造で複雑な構成の建物。駐車場から建築館へは階段を上る。寺町通りに面して開放的な玄関、ラウンジがある。






地下は企画展示室があるがパス。2階へ上がると常設展示室がある。谷口吉郎設計の迎賓館赤坂離宮和風別館「遊心亭」の「広間」と「茶室」を忠実に再現している。広間の天井、畳、上り縁、広縁の敷石などの目地がすべてそろっていることを担当者が説明していた。
広縁の前は水庭になっており、犀川の風景と連なっている。








建築館を出て寺町通りをにし茶屋街へ向かう。
にし茶屋街
観光客で賑わうひがし茶屋街と違って人通りは少なく静。芸妓の数は三茶屋街の中で一番多いとのこと。終点近くに金沢西茶屋資料館、西検番事務所がある。西検番事務所は木造洋館で芸妓の稽古場、事務室として使われてきた。



西検番事務所の横を通って寺町台伝統的建造物群保存地区へ。
寺町台伝統的建造物群保存地区
金沢藩が一向宗の監視と金沢城の防衛機能強化のために三つの寺町を形成したものの最大の物。
にし茶屋街からの道を国道157を渡って間もなく右手に願念寺がある。



その前を通り過ぎてぶつかった所が妙立寺の裏口。妙立寺は忍者寺として知られる。要塞の司令塔の役目を担うために建てられた。隠し階段、隠し部屋、落とし穴、見張り台などが設けられている。観光客で賑わい、予約制で見学ができる。



妙立寺の門のある通りを左へ進むと右に承証寺、左に本長寺、真長寺と続く。ほんの一部を見ただけで建築館の駐車場に戻り、15時5分出発。



金沢市民芸術村
1923~27年に建てられた紡績工場の敷地と建物(倉庫群)を再生したもの。1997年度グッドデザイン賞大賞を受賞した。
レンガ造の建物の前を回廊でつないでいて、オープンスペース前の舞台の部分だけが途切れている。オープンスペースは一般に公開されており誰でも自由に入れる。半分近くが階段状になっており、演劇などの時の観客席になる。回廊の外に水面と舞台が設けられているが、水面は干上がっていた。






城下町金沢の伝統文化を維持するために必要な建築系技能の保存と継承技術者育成を目的とする金沢職人大学校が併設されている。学生なのか石を削っている人がいた。



芸術村と職人大学校の建物は敷地の2辺の端に寄せてL字形に配置されており、それの囲われた部分に石工場、駐車場などがまとめられているほかは広大な芝生の公園になっており、市民の憩いの場となっている。15時50分出発。
尾山神社
加賀藩祖前田利家公を祀る神社として1863年に創建された。神門は1865年(明治8年)に建築された和漢洋折衷様式で三層目に色ガラスが嵌められ、かっては灯台の役目をしていた。拝殿左手に前田利家公の騎馬像が建っている。
16時に尾山神社の駐車場に着く。神社に参拝し振り返ると丁度神門三層目の色ガラスに光が当たってきれい。神門の写真を撮ろうと階段の中ほどでカメラを構えていたらよろけてヒヤリとした。美也子はお守りを買う。16時30分出発。





長町武家屋敷跡
江戸時代からの武家屋敷跡の町並みが残る伝統環境保存地区、景観地区。この辺りは中級武士のエリアだった。
16時50分香林坊駐車場に着く。駐車場を出て大野庄用水沿いに進むと長町武家屋敷跡入り口の看板があり、ここで左折して進むと武家屋敷の土塀に突き当たる。右折すると右手に小公園があり武家屋敷の土塀の構造についての説明板が立っている。
突き当たって左へ進むと左手に新家邸長屋門が見えてくる。長屋門と家臣の住まいを一体化した建物で江戸時代後期に建てられたと推定される。市指定保存建物。



この道は先でクランク状になっている。突き当たって右折した左が大屋家で有形文化財。平士級の武家屋敷の遺構。
この先で左折し進むと大野庄用水に長町二の橋が架かっている。この辺りも人気スポットとのこと。武家屋敷はその先も続くがここで引き返す。









来た時に通った公園を通り過ぎて進むと左手に金沢職人大学校長町研修塾がある。江戸時代末期から明治初期に建てられたと推定される建物で武士系建物の特徴を継承した典型的なもの。1999年に現在の用途に改修された。
駐車場に戻り、金沢駅西口のホテルを目指す。
18時ダイワ金沢ホテルにチェックイン。向かいの大衆酒場「魚八」で夕食を摂る。若者たちで賑わっていた。












(つづく)