7.七日目(10月17日(木)、ピエンツア、サン・クイリコ・ドルチャ、サンタンティモ修道院、モンタルチーノ、サン・ガルガノ修道院、シエナ

ピエンツア
当地出身の教皇ピウス2世はこの地を自らに因んでピッコローミニと名付け理想のルネッサンス期の街づくりに挑んだ。フィレンツエの建築家ベルナルド・ロッセリーノを呼び寄せ、1459年から工事が始まり、大聖堂をはじめとする豪奢を凝らした数々の建築を残した。旧市街は世界遺産。
朝食前に旧市街の観光に出かける。ホテルの左前方のダンテ広場を通ってムレッロ門から入る。



門の内側は小さな広場になっている。メインストリートのロッセリーノ通りを進むと右手にサン・フランチェスコ教会がある。中は単廊の簡素な造り。隣のピッコローミニ宮を過ぎるとピウス2世広場に出る。






広場を囲んでピッコローミニ宮、大聖堂、司教館、市庁舎が建っており、町の中心。水彩スケッチはこの広場の市庁舎と司教館の方を描いた。ピッコローミニ宮と大聖堂の間を進むと周りは一面の雲海で息をのむ。市庁舎のアーケードには前後をぐっと圧縮した彫像が立っている正面と背面からはまともに見えるが横から見ると厚みが無くまるで浮彫の感じ。





ロッセリーノ通りを進むと東のはずれがギーリオ門。門の手前を右折して引き返すと城壁沿いにつけられたカステッロ通りに出る。オルチャ渓谷の見晴らしが素晴らしいとのことだが雲海で何も見えない。






カステッロ通りの突き当りは大聖堂だが少し手前で右折して裏道を進む。この辺りもよく整備されていてなかなか趣がある町並みが続く。市庁舎裏の広場を通り、ピウス2世広場に戻り、元来た道をホテルに帰る。



ホテルの食堂で朝食を済ませ、フロントでペンチを借りてスーツケースの錠を治す。まあまあ何とかなりそう。以前にミラノ空港でスーツケースの錠をこじ開けられる被害に遭ったことがあり、その時の経験が役立った。
9時50分出発。SS146/SP146経由でサン・クイリコ・ドルチャへ向かう。



サン・クイリコ・ドルチャ
オルチャ渓谷の中心に位置する中世の城壁に囲まれた町。ローマへの巡礼の道フランチジェーナ道とローマとフィレンツエを結ぶカッシア街道が通っていたため中世には栄えた。旧市街は世界遺産。
トスカーナの眺めを楽しみながら10時に駐車場に着く。城壁内に入り、大通りを進むと11世紀創建で19世紀に建て直されたサンタ・マリア教会の前に出る。その奥にバラ園があった。






さらに進むとサン・フランチェスコ教会前のリベルタ広場に出る。リベルタ広場は城壁の新門に面している。門の左脇にレオーニの庭への入口がある。16世紀のイタリア式庭園で庭の中心にメディチ家のコジモ3世像が立っている。






新門の外には投石器など中世の武器が展示してあった。引き返して正面に見えるサン・フランチェスコ教会に入る。ロマネスク様式の教会。






大通りをさらに進むと聖堂参事会監理教会と市庁舎の前に出る。聖堂参事会監理教会は8世紀に起源をもつサン・クイリコ・ジュリエッタ教会で、12世紀のロマネスク様式。13世紀の入り口はゴシック様式を残し、内部は改修されてバロック様式。市庁舎は元チギ宮で観光案内所も入っている。水彩スケッチは聖堂参事会監理教会の入り口と右手奥に市庁舎が見える様子を描いた。





市庁舎前の通りを進むと15世紀のカプチーニ門に出る。この先はピエンツアに通じている。門に連なった建物の外階段を人が出入りしているので登ってみたら住居だった。かっては見張り塔の役割を果たしていたらしい。



城壁沿いの道を駐車場へ戻る。この道からはオルチャ渓谷が一望に見渡せるがもやがかかっていて残念。



10時55分出発。SR2、SS323/SP323、SP55経由でサンタンティモ修道院へ向かう。途中、カステロ・ベローナを通過。



サンタンティモ修道院
オルチャ渓谷はトスカーナ地方に位置する美しい田園地帯で世界遺産。なだらかな丘、立ち並ぶ糸杉、オリーブ畑や葡萄畑が広がる風景が特徴で、ルネッサンス時代から多くの芸術家に愛されてきた。修道院はこうした田園風景の中、丘の間にオリーブの木に囲まれて建っている
770年頃に修道院が建設され、カール大帝の庇護を受け皇帝の修道院として発展した。教会はロマネス様式でフランスの様式が取り入れられている。アプシスは放射状に外に飛び出している。水彩スケッチはこちらの面を描いた。





周りには樹齢何百年ものオリーブの古木が何本もあって圧巻。美也子はオリーブの実を拾う。12時5分出発。SP55経由でモンタルチーノに向かう。



モンタルチーノ
人口約5000人、海抜564mの高台の町。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノというワインで有名。中世、見晴らしの良さから重要な軍事拠点だった。
1555年、シエナ共和国がフィレンツェ連合軍の手に落ちると、残党がこの地にシエナ共和国を樹立したが、1559年、フィレンツエに屈した。
12時25分城壁脇の駐車場に着く。城壁沿いに少し行くと1600年建造のソッコルソ聖母教会がある。引き返して駐車場から階段を上り旧市街に入る。しばらく行くとドウオーモ前に着く。ドウオーモは1000年頃の建設でファサードの前に回廊がある珍しいスタイル。






ドウオーモ正面のスパグニ通りの坂を下り、シャルディニ通りで右折してしばらく行くと14世紀建造のサンタゴスティーノ教会の前に出る。



ここからリカソリ通りに入ると正面に城塞が見える。城塞前広場に出る左角にエノテカ・プランゾーネがある。



城砦は1381年シエナ共和国によって建設されたもので五角形平面の各角に見張り塔を持つ。城館1階に受付がありチケットを買って入る。隣はエノテカ(ワインショップ)がありちょっと覗いてみたらずいぶん高価なものが並んでいた。城壁の上に登り、通路を一周する。城壁の上からは旧市街の様子が一望に見渡せる。城館の中にブランコに乗った人形が飾られている部屋があった。城塞の脇は元は城塞の一部だったのだろうが公園になっている。









城館を出て広場に面したエノテカ・プランゾーネでお土産にワインを買う。こちらは20€も出せば結構高級な部類の品が並んでいてリーゾナブル。
エノテカ・プランゾーネの広場側を進みデッラ・カサーメ通りで左折して進むと町で最も賑やかなガリバルディ広場に出る。広場はとがった三角形をしており、とがった部分に13~14世紀建造の市庁舎が立っている。見えるのは市庁舎の裏側で、広場からの道を抜けるとポポロ広場のある正面がある。水彩スケッチはここを描いた。広場の反対方向には14世紀建造のサンテ・ジディオ教会が建っている。


広場のとがった先の左手にあるバンディ通りを上り、サンタゴスティーノ教会の横を通ってスパグニ通りに入り、ドウオーモの前を通って駐車場に戻る。



13時55分出発。SP14、SP45、SR2、SP34C・D、SP33、SP32A、SP73BIS、SP31経由でサン・ガルガノ修道院へ向かう。
サン・ガルガノ修道院
1218~88年建造のトスカーナ地方で最初のゴシック様式の教会。サン・ガルガノに献じられた。14世紀の飢饉、ペスト、軍隊による略奪・破壊などによって衰退し、1786年落雷で鐘楼が倒れて屋根が崩壊、その後完全に放棄された。19世紀に修復が始まったが、現状を補強するにとどめ、あえて屋根や窓のない形で残している。その後歴史家の研究対象や写真コンテストのテーマになったり映画に使用されている。
道路の左前方に屋根のない教会が見えてくる。教会正面へのアプローチは両側に糸杉の並木が続く。ここを過ぎると修道院への入り口の門柱がある。ここから入って進むと左手は庭になっていてなかなか美しい。水彩スケッチはここを描いた。


修道院の1階は展示などに利用されていた。教会は天井の抜けた廃墟だがなかなか美しい。









近くのシェピの丘の上にモンテシェピ礼拝堂が立っている。がルガノが祈りをささげた場所に1185年に建設されたもの。
シエナの裕福な家庭に生まれたガルガノは放埓な生活を送っていたが改心し、シェピの丘で隠遁生活を始め、33歳で生涯を終えた。俗世では騎士であったガルガノは堅い決心を示すために自分の剣を岩に刺し、十字架の代わりに祈りをささげた。死後聖人に列聖された。
礼拝堂の中心部分は赤と白の大理石の縞模様が美しい。内部ではドームの天井までこのモチーフが続いている。岩に刺さったガルガノの剣がガラスケースの中に納まっている。



16時15分出発。SP31、SP73BIS、SS73経由でシエナに向かう。
シエナ
中世には金融業で栄えた有力都市国家で、13~14世紀にかけて最盛期を迎えた。トスカーナ地方の覇権をフィレンツエと競い。その経済力を背景にルネッサンス期には芸術の中心地の一つであった。中世の姿をとどめる旧市街は世界遺産。
ラテリナ門から入ってすぐのところにあるホテル・アテナにチェックイン。シエナ観光に出かける。ホテル前のパオロ・マスカーニ通り、スタッロレッジ通りを進み、カピターノ通りを左折するとドウオーモ広場に出る。






広場を囲んでドウオーモ、サンタ・マリア・スカラ救済院、県庁が立っている。ドウオーモは12世紀の着工で200年にわたって建設されたイタリアンゴシックの典型。鐘楼は13世紀末の物。西正面のファサードはイタリアで最も美しいと言われている。水彩スケッチはこれを描いた。


モウオーモ脇の門に続いてドウオーモ付属美術館が建っており、その前の奥に骨組みだけの壁が立っている。中止された第二ドウオーモの正面遺構でパノラマと呼ばれている。



ドウオーモ脇の門を出ると右手にマニフィーコ宮殿がある。その横を通ってペッレリーニ通りからチッタ通りに進み右手の階段を下るとカンポ広場に出る。






カンポ広場は扇形に広がり、中心が低く、弧に向かうにつれて緩やかに傾斜して行くユニークな形状が特徴で、世界で最も美しい広場と言われている。中心のプップリコ宮殿前が一番低くなっており、雨水はここに向かって流れてくるのでなかなか凝ったデザインの排水口が設けられている。
13世紀初頭までには都市の世俗生活の中心として重要な役割を担うようになり、新しい街路はカンポ広場を中心に作られた。カンポ広場ではパーリオと呼ばれるシエナ17地区対抗の裸馬レースが行われる。



広場に面して中央にプップリコ宮殿が建っている。13世紀末から14世紀初頭に建てられたゴシック様式の建物で、現在1階は市庁舎、2階は市立美術館として使われている。宮殿のマンジャの塔は高さ102mあり、14世紀の建造。
プップリコ宮殿に入ろうと思ったが閉まっていたので元来た道をドウオーモに引き返す。



ドウオーモ広場入り口の門の手前、サン・ジョヴァンニ広場に建つ洗礼堂は14世紀に建造されたものでゴシック様式のファサードは未完成。ドウオーモ地下のサン・ジョヴァンニ洗礼堂は遺構もすごい。



ドウオーモに入ると象嵌とモザイクによる身廊の床面装飾が素晴らしい。ドウオーモの一角にあるピッコローミニ家の祭壇、図書室も圧巻。閉館時間の関係で今日はここまで。









ライトアップされたドウオーモ、カンポ広場を見た後、チッタ通りの「イ・バルベリ」で夕食を摂る。途中小広場で旗振りの練習に励む人がいた。






例によってアラカルトを数種類注文しシエア。この地方の名物という1kg以上あるTボーンステーキも注文したがさすがにボリューム満点だった。










(つづく)
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