2.二日目(10月11日(土)、ハエン、グラナダ

朝食を済ませパラドールの写真を撮った後出発。グラナダへの途上はオリーブ畑の丘が続く。






グラナダ
シェラ・ネバタ山脈の麓、ベガと呼ばれる肥沃な平野に位置するグラナダは、ローマ時代に起源をもつ歴史ある街。1236年コルドバ陥落以降、ナスル王朝グラナダ王国の首都としてイベリア半島におけるイスラム最後の砦として繁栄を極めた。1492年のグラナダ陥落まで2世紀半に渡り、アルハンブラ宮殿を築いた。
フェネラリフェ
アルハンブラ宮殿の駐車場に着き、まずフェネラリフェへ向かう。アルハンブラの東のはずれに建てられた夏の離宮で14世紀に整備された。



フェネラリフェの前庭に入ると左手にアルハンブラの城壁が巡らされ、近くに王女の塔と俘囚の塔が見える。その向こうにアルハンブラに向き合ってグラナダで最も古い地域であるアルバイシンが広がる。右手には階段状の植え込みが続き、野外劇場がある。



野外劇場を過ぎると階段があり下の庭園に入る。最初に刈り込みのアーチを通して水路が見える。両脇の舗床は色違いの玉石を敷き詰めて描いた模様が面白い。左手には城壁の胸壁付きの塔が見える。






水路のある部分を過ぎると両脇の舗床が合わさって中央の水路に続く形で舗床が伸び、両側は花壇になっている。この道の先にフェネラリフェがあり、入り口前の庭に出る。


フェネラリフェに入るとアセキアの中庭に出る。中央に水路があり、両脇にしつらえられた噴水から水が降り注ぐ。水路の両脇は花壇と木の植え込みになっている。右手の屋上からピンクの花が枝垂れ落ち見事。左手は回廊となっている。パステル画はこれを描いた。本館の北の窓からはサクラモンテの丘が見える。ロマ(ジプシー)の暮らす地区で穴居住宅も所々見える。







先に進むとスルタナの中庭に面したポーチに出る。スルタナの中庭は中央に植え込みのある池がある。中庭の奥の階段を上ると上の庭園に出る。さらに上に上る水の階段は両側の手すりが溝になっていて水が流れ落ちる。






アセキアの中庭の本館と反対側にはゲストハウスがある。上の庭園のレベルで下の庭園の上にある緑のトンネルを通ってフェネラリフェの前庭に戻る。


アルハンブラ宮殿
フェネラリフェとの間を繋ぐ橋を渡ってアルハンブラ宮殿に入る。橋の近くに水の塔が建っている。城壁に沿った道をしばらく進むと両側に壮大な刈り込みの続く道となる。



そのうち右手にパラドールが見えてくる。レコンキスタ後の15世紀に、イスラムのモスクがサン・フランチェスコ派の修道院として建て直された建物を改修して活用している。



さらに進むとモスクの浴場の遺跡があり、その隣にサンタ・マリア教会が建っている。



その先にカルロス5世宮殿があり、前方にワインの門が見えてくる。カルロス5世宮殿はカルロス5世が1526年に新婚旅行でアルハンブラ宮殿に宿泊した際に建設を決めたもので、資金難で一時中断され屋根が付いたのは18世紀になってからのこと。当時最新のルネッサンス様式で正方形の平面に中央に円形の回廊を巡らした中庭がある。現在、1階はアルハンブラ博物館、2階は現代美術館となっている。






ワイン門から出てアルカサバへ向かう。アルカサバはアルハンブラで最も古い部分で、ローマ時代の砦の後にモーロ人が9世紀に築いた軍事要塞。アラブ世界の軍事技術を結集し難攻不落と言われた。広場に面して建つ右側の塔はホマジェ(臣下宣誓)の塔。入り口から入ると武具広場の遺跡が広がる。城壁に上るとアルバイシンが広がり、アルハンブラ宮殿の絶好の展望地として知られるサン・ニコラス教会と広場も目の前に見える。






一番高いヴェラの塔(見張りの塔)に上るとグラナダの市街が一望に広がり、大聖堂も眼下に見える。火薬の塔がある南側の城壁上は遊歩庭園となっており、ここを通って戻る。






アルカサバを出るとカルロス5世宮殿と並んでナスル宮殿が見える。ナスル朝初代王ムハンマド1世が建設に着手、7代王ムハンマド5世の世になって完成した。イスラム芸術の結晶としての輝かしいモニュメントとされる。
ナスル宮殿
ナスル宮殿は予約制で入場制限をしている。1300~1400に見学。マチューカの中庭の脇の道を進み入り口を入るとメスアール宮のメスアール(裁き)の間に出る。現存するもっとも古い部分で行政、司法が執り行われていた。その奥の北側はアルバイシンを一部にする元祈祷室だった。





次が宮殿の中心部分コマレス宮。アラヤネス(天人花)の中庭は庭一杯に造られた池が美しい。この庭を眺めながら賓客は大使の間に通された。



大使の間は諸国から訪れた使節の謁見など公式の行事に使われた。その先にあるバルカの間は天井がバルカ(小型の船)の形をしている。




その先に王族のプライヴェートな空間であるライオン宮がある。12頭のライオンの噴水のある中庭を回廊が囲んで、南にアペンセラッへスの間、東に諸王の間、北に二姉妹の間が面している。



アペンセラヘスの間は政界の最大勢力だったアペンセラッヘス家の男性8人が反対勢力の讒言を受けた王の命令で皆殺しにされたという曰く付きの部屋。
諸王の間回廊天井のモカベラ(鍾乳石状の装飾)も美しい。ポーチを通したライオンの中庭の風景は素晴らしくパステル画はこれを描いた。




二姉妹の間はライオンの中庭周辺では最も古い建物。天井の鍾乳石状の装飾は宮殿随一の精密さを持つ美しいものと言われている。奥はリンダラハのバルコニーでリンダラハの中庭を囲んでいる。ここを抜けるとパルタル宮殿に出る。






パルタル宮殿の周辺はイスラム時代には貴族の宮殿や住宅、モスクなどが建ち並ぶ緑地だった。貴夫人の塔のある宮殿の正面には池がある。近くに礼拝堂がある。池の前方はユセフ3世の宮殿跡の考古学エリアになっている。ここから右手に進むとアベンセラッヘスの間の背面を通りカルロス5世宮殿に到る。






ここで引き返してアルハンブラ宮殿の入り口に戻り、城壁下の道からアルハンブラ宮殿の南に広がるアルハンブラの森を通ってファンデーション・ロドリゲス・アコスタに向かう。



ファンデーション・ロドリゲス・アコスタ
邸宅と庭園が公開されている。絵を描くための画題として作成したと言われており、様々な建物や庭があり、パーゴラや彫刻なども随所に配置されている。この日もコンテストのために絵を描く人たちがいた。アルハンブラ宮殿にも通じていたと言われる地下道なども興味深い。案内人がついて説明してくれたが写真を撮るのに忙しく、そちらは亜矢さんに任せた。












帰り道、アルハンブラ・パセオ・ホテルという一風変わったホテルのところでアルハンブラの森に入り駐車場へ戻る。三連のバスが止まっていて珍しかった。


グラナダ市街
ACパラシオ・サンタパウラ・ホテルにチェックイン。このホテルは16世紀の修道院と14世紀のアラブ式住居を改装したもの。
歩いて市内観光に出かける。大聖堂の後陣が見えてくる。大聖堂の脇の狭い道を進むと商店が立ち並んでいる。このあたりがイスラム時代の市場跡アルカイセリアか? 道路脇に張り出して香料を並べた店が面白かった。土産にサフランを買う。その続きはビブランブラ広場か? ロバの銅像の脇に小さな女の子が立っていて可愛かった。



大聖堂はモスク跡に1518年より建設が開始された。当初はゴシック様式で基礎工事が進められたが、1528年以降担当が変わりプラテレスコ様式最大の建物となった。この様式はイタリア・ルネッサンスに触発されながら、構造的にはゴシックで、装飾にはアラブ的なムルデハ様式を用いるなど折衷的なものであった。その後ルネッサンス風に意匠の統一も進み、1704年まで工事は続けられたが塔の部分は未完成のまま。






大聖堂を出て東に行くとすぐにイサベル・ラ・カトリカ広場。イサベル女王とコロンブスの銅像が立っており、ここが町の中心。広場が面するレイジェス・カトリコス通りを北東に進むとヌエバ広場があり、その先にサンタ・アナ教会が面するサンタ・アナ広場。ダーロ川沿いに進むとアルバイシンに通じている。



ダーロ川に面した広場があり、アルハンブラ宮殿を見上げるのにいい場所。この広場に面したレストランのテラス席で夕食を摂ることに。仁はサン・ニコラス教会の広場に行ってアルハンブラ宮殿の写真を撮って来るというので我々3人は先に注文をして始めることにする。メニューにタタキ・ド・ツナというのがあって珍しいので注文したらマグロを海苔で巻き、その外を薄いメリケン粉を付けて軽く焼いたもので和風の趣向か?なかなか美味しかった。






食事を終え、日の暮れた中アルバイシンの坂道を上ってサン・ニコラス教会の広場へ行く。真っ暗な中ライトアップされたアルハンブラ宮殿はなかなかの見もの。広場では焼き栗を商う店がいくつも出ていた。



サン・ニコラス教会からアルバイシンの坂道をサンタ・アナ広場へ下る。



アルハンブラのナスル宮殿のナイト・ツアーに参加。夜の宮殿は昼間とは違った雰囲気で面白かった。隣のカルロス5世宮殿もライトアップされていたので寄り、ホテルへ戻る。ホテルの中庭も修道院の後だけになかなかの雰囲気だった。















(つづく)