4.四日目(10月13日(月)、サハラ・デ・ラ・シェラ、アルコス・デ・ラ・フロンテラ、セビーリャ

朝食を済ませホテル出発。北西方向のサハラ・デ・ラ・シェラへ向かう。



サハラ・デ・ラ・シェラ
グラサレマ山脈自然公園の雄大な自然とオリーブの木々に囲まれ、目の前にエメラルド色のダム湖が広がる丘陵の頂上にアラブの城塞跡があり、その裾に広がる白い町。
古くから古代ローマ人の集落があり、その後イスラム支配を確立したナスル朝グラナダ王国の軍事的要衝として要塞化された。1407年アラゴン王が征服しキリスト教圏となったが1481年にナスル朝グラナダ王国に再占領され、グラナダ戦争の引き金となった。
サハラ・デ・ラ・シェラの傍まで来ると左手に丘の頂上の城塞とその裾に広がる白い町が見えてくる。
10時15分到着。駐車場から坂道を上ると突き当りに時計の塔がある。16世紀の鐘楼とのこと。この脇の坂道を上ると、上り切った所に広場があり、サン・ファン・デ・レトラン礼拝堂が建っている。1956年に新古典様式で再建されたもので、16~17世紀の貴重な宗教美術が祀られているとのこと。広場からは丘の上のアラブの城塞が見える。






先に進みしばらく行くと左手が開けた広場に出る。広場の右手奥にサンタ・マリア・デ・ラ・メサ教会が建っている。15世紀の建造で、その後改築され18世紀後半のアンダルシア宗教建築の傑作として名高い。バロック様式と初期古典様式が融合した外観が印象的。広場の中央には照明塔があり、その台座には昔の村人たちの様子が浮き彫りされていて面白い。






サンタ・マリア・デ・ラ・メサ教会の脇を通ってアラブ城塞へ向かう。坂道を登りながら振り返るとサンタ・マリア・デ・ラ・メサ教会と白い家並みの風景が美しいので水彩スケッチはこれを描いた。


サハラ・デ・ラ・シェラ城は標高600mの丘の上にある。最も古い記録は1282年に遡る。現在残る建物の大部分は15世紀にキリスト教徒によるものだがアラブ時代の城壁なども残る。






11時30分出発。ダム湖の対岸からサハラ・デ・ラ・シェラの全景を撮る。12時10分グラサレス?の駐車場で休憩。白い町を見るのはパス。西方向のアルコス・デ・ラ・フロンテラへ向かう。
アルコス・デ・ラ・フロンテラ
グアラレーテ川右岸に位置する。砂岩の尾根の上に広がる白い町。先史時代から人が定住していた。ローマ人は別荘を作った。アラブ人は町の通り、軍事要塞、市壁と言った構成を組み立てた。13世紀カスティーリア王のアンダルシア遠征の際に征服された。
町の名は「国境のアーチ」の意で、門や建物に見られる美しいアーチ装飾が多いことから名付けられた。
駐車場からコレデラ通りの坂道を上る。白い家のほとんどは中庭を囲んだ構成となっているようだ。そのうちに城塞、サンタ・マリア教会の鐘楼が見えてくる。観光案内所で資料をもらう。観光案内所は古い建物を改装したものだが展示スペースなどなかなかすっきりしたインテリアになっている。






しばらく行くと右手にサンタ・マリア教会があり、階段を上って右手に進むとカビルド広場に出る。ここが旧市街の中心で北側にサンタ・マリア教会、西側に市庁舎、東側にパラドールが建っている。



サンタ・マリア教会はかっての主要モスクの跡地に15~16世紀にかけて建築・改修されたもので、後期ゴシックの構造にルネッサンスやバロックの要素が付け加えられている。



広場の南側は開けて、断崖の上がアルコスのバルコニーと呼ばれる展望台になっている。すぐ下にグアダレーテ川が流れ、その向こうにオリーブの木で覆われた平原が続く。



かビルド広場から東に向かうと古い町並みが続き、通りが広くなった小広場にはテラス席が設けられて賑わっている。家並み越しにサン・ペドロ教会が見え隠れする中を進むとサン・ペドロ教会に出る。



サン・ペドロ教会は14世紀にアラブの要塞跡に建造された記録がある。18世紀の主ファサードはバロック様式。



ここから坂を下って町の北側へ行く。北側市街の橋の道は断崖となっていて、断崖の下に川が流れ平原が広がっている。



町の中心へ向かって坂道を上ると、やがてサンタ・マリア教会の鐘楼が見えてくる。



サンタ・マリア教会裏、城塞脇を通り過ぎ、左手の階段を上ると城塞がかなり見えた。
アラブ城塞は15世紀に改築され、キリスト教徒の征服後アルコス公爵の私的な住居となった。
すぐ近くにあるアグイラ伯爵宮殿は15世紀の建造で、ファサードはゴシックとムデハル様式。駐車場へ向かう途中横穴を利用した建物を見かけた。



15時25分出発、川向こうの展望台へ行く。パステル画はここからの風景を描いた。


セビーリャ目指して北方へ向かう。
セビーリャ
ローマ時代にはすでにこの地方の中心都市の一つだった。西ゴート王国の首都だった時期もある。712年以降はイスラム勢力の下でさらなる発展を遂げた。カスティーリャ王フェルナンド3世がセビーリャを奪還したのは1248年。大航海時代には新大陸との交易港として栄えた。1519年に世界一周の旅に出たマゼランもセビーリャから出発している。


カサ・デル・ポエタ・ホテルにチェックイン。サンタクルス街(旧ユダヤ人街)にあるが、目的地に着けず、近くから亜矢子さんがホテルに行って助けを求める。荷物を押してホテルへ。車はホテルの人が駐車場へ回してくれる。ホテルへ着きパティオで一休み。



部屋へ荷物を入れて市内観光に出かける。ホテルはほんの狭い路地に面している。この道を進んでいくとヒラルダの塔が見えて来てトリアンフォ広場に出る。



この広場には大聖堂とヒラルダの塔、大司教館、アルカサル、インディアス古文書館が面して建っている。ここが市の中心で観光客目当ての馬車が駐っている。水彩スケッチはここの大聖堂とヒラルダの塔を描いた。


大聖堂は1402年に建設が始まり1519年に完成した。広い特異な形はモスクの名残だという。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂を除けばカトリックの大聖堂として世界一大きい。内部にコロンブスの墓がある。ヒラルダの塔は高さ97m、12世紀末にモスクのミナレットとして建設され、16世紀にプラテレスコ様式の鐘楼が付け加えられた。先端のブロンズ製の像は高さ4m、1288kgもあり風を受けて回転する。ヒラルダ(風見)と呼ばれる所以。
アルカサスはスペイン王室の宮殿。イスラム時代の城を改築し14世紀に建設された。ムルデハ様式の代表例の一つ。



インディアス古文書館は1572年に商品取引所として造られたルネッサンス様式の建物。1784年には新大陸に関する文書をまとめる古文書館となり、新大陸発見や征服当時の貴重な資料が保存されている。



大聖堂とインディアス古文書館の間を抜けるとコンスティチューション通りで路面電車の停留所があり、郵便局が建っている。



コンスティチューション通りを南に進むとプエルタ・デ・ヘレスに出る。この角っこにアルフォンソ・トレッセ・ホテルが建っている。1927年イベロ・アメリカ博覧会時に創業のセビーリャで最も格式ある名門ホテル。
クリスティーナ公園に沿って進むとサン・テルモ宮殿がある。



ここで左折して進むとセビーリャ大学がある。カルメンの舞台の旧タバコ工場を利用している。
近くにある考古学博物館はイベロ・アメリカ博覧会の際に建てられたプラテレスコ様式の建物。この前を通り過ぎて進むとマリア・ルイサ公園でいろいろのエリアがある。公園はかってサン・テルモ宮殿の庭園の一部だった。公園を眺めながら進むとスペイン広場に出る。












スペイン広場はマリア・ルイサ公園内に1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会の会場として造られた。広場を囲む半円形の建物の下には、スペイン各県の特徴や歴史的場面をタイルで描いた58のベンチが置かれている。






ロス・レメディオス橋からグアダルキビル川の河川敷を通つて、サン・テルモ橋を渡って対岸のレストランで夕食を摂る丁度黄金の塔が目の前に見える。黄金の塔は1221年建造の12角形の旧見張り塔。















帰り道、ライトアップされたヒラルダの塔がきれいだった。



(つづく)