8.八日目(7月13日(金)、ソスペル、サオルジュ、タンド峠、アニエル峠、サン・ヴァラン、イゾアール峠、ロータレ峠
朝食前にホテルのヴェランダから目の前の風景をスケッチ。朝食を済ませ、8時15分出発。アルプスの山道をD2566経由でソスペルを目指す。
ソスペル
マントンから曲がりくねった山道を20kmほど入った村で、赤壁の建物が多い。ベヴェラ川の面した静かな中世の面影を残す村。中世、塩の道が通る重要な村だった。
村に着くとル・ポン・ヴィユーが目に付く。13世紀に木造で建てられ、1522年より石造となった、古い要塞化された橋。ヨーロッパで現存する要塞化された橋で最も古い物の一つ。この要塞でかっては通行税を徴収していたとのことだが、現在は観光案内所となっている。
ル・ポン・ヴィユーを渡ると北旧市街。最初の共和国通りを右に進み、サンテ・クロワ通りで左折するとサンテ・クロワ教会のある広場に出る。サンテ・クロワ教会は16世紀建造のロマネスク様式。教会の前から進んで村を見て回る。小広場の片すみの泉、共同洗濯場、アーケードの民家などなかなかいい雰囲気の村だ。
ル・ポン・ヴィユーを渡って戻ると南旧市街だが、時間が無いのでこちら側はパス。駐車場へ戻る川沿いの道の川との間は市場広場でテラス席が設けられている。
D2204、E74経由でサオルジュに向かう。
サオルジュ
ニースの北方約70km、列車で1時間程度の、西アルプス山脈ロワイア渓谷の絶壁の上の中世の村。村の名はケルト・リグリアに起源を持ち、「川沿いにある絶壁の頂上」の意味。断崖絶壁に這いつくばるように家々が並ぶ。
中世にはニースからピエモンテへの道を守る戦略基地として大変重要な役割を果たし、「不落の砦」としてその名を知られた。フランス革命時の激戦地でもあり、歴史の村に指定されている。多くの家は15世紀のもので、中世の面影を残す。
サオルジュ方向の指示に従って進みトンネルを抜けて少し行くと、谷越えにサオルジュの村が見えてくる。駐車場から村に向かうと入り口左手に村役場があり、教会の塔が見える。その先右手に赤色苦業会礼拝堂の塔があり、それを過ぎるとシアパーニュ広場。
赤色苦業会礼拝堂の横は泉があり、前方が開けている。広場の先のアーチを潜ってメッジ通りを進む。これがメイン・ストリートのようだがとにかく狭い。傾斜地に建っているからか至る所に路地の上に通路がかかっている。上の道への抜け道や上の道との合流点など変化があって面白い。
上の道と合流して少し道幅も広くなり、椅子、テーブルを店先に出したレストランなど目に付くようになる。その先の水飲み場・共同洗濯場を過ぎると集落の町並みが途切れ、オリーブ畑が広がる静かな環境の中にフランシスコ会のサオルジュ修道院が建っている。
サオルジュ修道院は17世紀に建造され、18世紀に修復されたバロック様式の建物で歴史的建造物に指定されている。教会の入り口にはポーチ(11)がついている。その横の入り口から受付(A)で料金を払って入ると回廊(9)に囲まれた中庭に出る。中庭には張り巡らされたワイアーのアートが飾られており、壁や窓廻りに描かれたフレスコ画によってバロックの雰囲気が生み出されている。回廊の南側の壁にはアッシジの聖フランチェスコを物語った18世紀のフレスコ画が飾られている。
教会は奇跡の聖母教会と呼ばれており祭壇の奥に壁掛け(3)で教会と仕切られ合唱隊隊席(4)がある。
東翼には食堂(7)があり、17世紀のフレスコ画で装飾されている。東翼の外にはテラスがあり、パーゴラが架かっている。南端には細い枝で組み合わせた人形のようなアートが据えられていた。
テラスの東側は階段状の畑(8)になっており、一番上には果樹で覆われたパーゴラがあって、ここにもアートがさりげなく飾られていた。
回廊の南側に回って北側を見ると鐘楼が見え日時計が取り付けられている。修道院の前庭は一面の芝生で、ここからのサオルジュとロワイヤ渓谷の眺めは素晴らしい。
坂を下って村へ戻る途中でポッジオのマドンナ礼拝堂への路へ入ると、サオルジュの全体が一望できる。素晴らしい眺めで、パステル画はそれを描いた。ロワイヤ渓谷の上に鉄道、下に道路が走る様子もよく分かる。
前方に周囲から孤立して高い塔が見えてくる。ポッジオのマドンナ礼拝堂のロマネスク・ロンバルディア様式の鐘楼で高さ30m、歴史的建造物に指定されている。礼拝堂は10世紀ロマネスク様式の建物で、どこかの修道院の関係だったらしいが、17世紀から個人の所有になっているとのこと。
途中で右折して村に入ってしばらく行くとシアッサ・ソウタナに出る。壮大な擁壁の上の小さな広場。ここからは崖の上に建ち並ぶ家々の様子がよく分かる。建物の下を潜ってソウタナ通りを進む。路地の狭い隙間から黒色苦業会礼拝堂の塔が見えるところがあった。
しばらく行くとガイ・デ・ゴウユ大通りに出る。片側が断崖で反対側に岩山が迫る公園のような雰囲気の場所があり、戦没者記念碑が据えられている。ここからはサオルジュ修道院もよく見える。
引き返してシアパーニュ広場に戻りパウッソ通りを上る。途中通りに面して引っ込んだ空間の壁にギャラリーのように絵が飾られていた。道を上り切った所に階段があり、これを上るとサン・ソーヴァ教会前の広場に出る。
サン・ソーヴァ教会は15世紀の建造で、17世紀にバロック様式で修復された。歴史的建造物に指定されている。
サン・ソーヴァ教会の入り口の右手から上の道に通じている通路を上る。白色苦業会礼拝堂の上を巻いて駐車場に戻り、D6204、E74経由でタンド峠に向かう。
南アルプス、タンド峠からアニエル峠
標高1871mのタンド峠を越えるとイタリアに入る。西アルプスの谷間を走る。あたりは色とりどりの高山植物が咲き乱れており、養蜂の巣箱が並んでいる。所々小さな集落があり、山裾は大体放牧地になっているようだ。高山植物の写真をたくさん撮ったが一部を掲げる。
アニエル峠2744mに到着してフランスに戻る。周りをラ・タイランテ3197m、パン・ドスクレ3208m、ダスティミネ3220m、フェラ3094m、シマ・ティ・ピナサ3117m、サルザ320m。プラ・ダルプ3031mなどの峰々が取り囲んでいる。あたりは一面の花畑、D2051、D5経由でサン・ヴェランに向かう。
サン・ヴェラン
標高2042mのヨーロッパデで最も高い場所にある村で「フランスの最も美しい村」認定。保存の行き届いた村で、新しい建物もなじんでいる。電線やアンテナが無いため本物の古い村の特色を現在までとどめている。家の多くは17~18世紀に建てられたもの。
村に近づくと牧草地の中にサン・ヴェランの集落が見えてくる。現在はリゾートとしてスキー場が多いが、写真にもスキーリフトが写っている。
村の入り口付近に小さな祠があった。大きなテラスの付いた木造家屋が目に付く。1階は50~70cmもある厚い石壁で、フステと呼ばれる上部は校倉造りのような構造。長い冬のための飼料を乾燥させ、保存していくために使用されていた。南側のテラスは飼料を乾燥させるための場所。
少し進むと分かれ道との角に木製の泉があった。これがこの地方の特徴の一つ。バックの壁に昔の様子を記録した写真が大きな幕にして掲示されていた。
この地方は工芸品が特産で木工細工などが多いようだが、そうした土産物を売る店となっているフステのある建物の前に木製の泉があり、なかなか美しい。教会なども入れて水彩スケッチを描いた。
石葺きの家も多く、これもこの地方の特徴となっている。さらに進むと右手に教会がある。17世紀の建造で、ライオンの彫刻のある台座に支柱を建てた木造のポーチがついている。内部は小さなものだが19世紀のステンドグラスはなかなか美しい。
ここで引き返す。すぐそばに斜面に張り出したテラス席のあるレストランがあった。ここも石葺きの家。
D5、D902経由でイゾアール峠を目指す。
教会内部 ステンドグラス レストラン、石葺きの家
西アルプスを行く。イゾアール峠、ロータレ峠
イゾアール峠へ向かう途中、どこの村か通り過ぎた時、丘の上に立派な城が見えた。イゾアール峠の近くでカス・デゼルトという場所を通過する。切り立った岩峰とまるで砂漠のような砂利の斜面がすごい。イゾアール峠は標高2361m、ツール・ド・フランスではこの峠がアルプス越えステージ最大の勝負どころとなるケースが多く、数々の名勝負が演じられて来た。
イゾアール峠からD902、D1091経由で標高2058mのロータレ峠のホテル・デ・グラシェに着く。食堂で夕食を取る。カルボナーラは亜矢さんの「フランスのパスタは今一つ」という通り、もう一つしゃきっとしたところが無かった。
(つづく)