6.六日目(9月23日(水))、ロカマドール、ルブルサック、カステルノー・ブレテノウ城、テュレ
朝食を済ませ8時50分出発。あいかわらずの濃霧。
ロカマドール
モン・サン・ミッシェルに次ぐフランスの宗教的観光地。アズルー渓谷の断崖絶壁に寄り添うように町並み、教会、修道院が佇む。1166年聖アマドールの遺骸が発見され、しかもその体が腐敗もせず生前のままだったという伝説で知られる巡礼地。村の名は「アマドールの岩山」を意味する言葉に由来する。世界遺産、「フランスの最も美しい村」認定。
9時50分にロカマドール城のそばの駐車場に着く。「苦難の道」と名付けられた九折の路を下り、村を目指す。降り始めてすぐに洞窟の礼拝所がある。九折の折り返し点には祠が建っている。下りきったところが修道院の裏口で水平の路が伸び、視界が開ける。眼下に村の屋波が見え、家屋の裏を通って道が通じている。
村の目抜き通りまで下り、イチジク門から入る。古くからの巡礼地でこの地方で最も人気の観光地だけに道の両側に土産物屋、食い物屋が並んでいる。この地方の特産フォアグラの瓶詰を土産に買う。
目抜き通りはいくつかの門で区切られており、サルモル門を過ぎるとやがて村の中央にある「巡礼者の階段」と呼ばれる聖域への大階段がある。聖域へ上るのは後にして先へ進む。
大階段から先の門を過ぎると住宅地に変わる。ロカマドールの民家の屋根はおおむね「民家のローズ」と呼ばれる海老茶色の板石で葺かれており、黄褐色の石積みの壁とよく調和している。ここまでくると人通りも途絶え、静かな佇まいの町並みが続く。水彩スケッチはこれを描いたもの。反対側の村の入り口まで行って引き返す。
もと来た道を戻り、聖域への216段の大階段を上る。中世の巡礼者たちは祈りを捧げながら両膝だけで登ったという。
階段を上り切った広場に7つの聖堂、礼拝堂が集まっている。
ノートルダム礼拝堂は14~15世紀に崩壊し廃墟となったが19世紀に再建されたもの。12世紀から数々の奇跡を起こしてきたという黒の聖母像があるがどこにあるのかよく分からなかった。14世紀造の「奇跡の鐘」があり船を海難事故から救うために早朝一度だけならされるという。堂内に帆船の模型が飾られていた。
広場の建物の間の岩壁に騎士ローランの伝説の剣デュランダルの剣が刺さっている。
サン・ソヴール聖堂はロマネスクからゴシックへの転換期であった11~13世紀にかけて建てられた。聖アマドールの亡骸は12世紀に造られたサン・タマドール地下礼拝堂に祀られている。
修道院の裏口から出て、先刻下ってきた「苦難の道」を上り、頂上のロカマドール城へ。城は14世紀に聖堂防衛のために建造されたが、その後司祭の住居として用いられてきた。
城壁の上からアズール川流域の眺望が開ける。ロカマドールの村から伸びる道の向こうに見える小さな集落はロカマドールを眺めるビューポイントとして有名な展望台のあるロスピタレ。
11時50分、城を出てロスピタレに向かい、展望台から写真を摂る。岩壁に張り付いたロカマドールの景観が素晴らしい。水彩スケッチはこれを描いたもの。パステル画は縦型の画面でこれを強調して描いた。
次のルブルサックへ向かうため一旦川筋に下り、谷の向こう岸の道をたどる。丁度ロカマドールの全景が眺められて良かった。
ルブルサック
ドルドーニュ渓谷とバーブ渓谷の雄大な景色を望む崖の上の美しい村。「フランスの最も美しい村」認定。
9世紀の記録に残る古い村で、50mくらい低い場所に原初的な城塞都市とサン・ピエール教会が構えられていた。100年戦争でイギリス軍に占領され廃墟と化したが、1352年に解放された。100年戦争の後、アデマール・デーグルフィユが新しい城を築き村の復興に多大の貢献を果たし、現在の村の原型を形成することになった。
12時50分、村から少し離れた駐車場に着く。村の手前によく整備された小さな公園がある。公園の先の村の入り口から入る。
道は村の中をぐるっと回る1本のみですこぶる小さな村だが趣がある。建物も立派なものが多い。しばらく行くと城門が見えてくる。城は15世紀の建造で18世紀に改装されてマナーハウスとなった。
さらに進むと13~16世紀建造のサン・ジャン・バプティスト教会がある。そのすぐ先が建物の下を潜る村への入り口。この辺りなかなか趣があり、水彩スケッチはそれを描いた。
村の外に出ると遠くかすかに次に行くカステルノー・ブレテノウ城が見える。
13時40分出発。カステルノー・ブレテノウ城へ向かう。
カステルノー・ブルトノウ城
丘の上に聳える城館。三角形の平面が特徴的。城が建てられ始めたのは9世紀頃。13世紀にカステルノー・ブルトノウ男爵に引き継がれ長く同家が所有していたが、1851年火災により焼失した。1896年オペラ歌手のジャン・ムーリエラが買い取り修復。20世紀初期のゴシック復古調の内装となった。
14時麓の駐車場に着く。城門の受付で料金を払い南東面の正面入り口から入る。空堀には橋が架かっているが18世紀までは跳ね橋だった。
入った東南棟は中庭に面してアーケードになっている。中庭の北面は城壁で北西端に大バルコニーがある。東北隅の円形の大きな塔は砲兵塔❸。東南棟の南寄り部分は中世の居住部でジャン・ムーリエラの住居❹となっていた。この隅にある四角い塔が天守閣❷。南西棟は中世の居住部❶。城下の村の屋根は海老茶色の板石で葺かれていて美しい。
改装された室内はガイドツアーで見られるが、時間が無いのでパス。15時10分出発。
テュレンヌに向かう途中、ボーリュー・シュル・ドルドーニューのそばを通る。ドルドーニュー河畔の大きな村でロマネスク様式のサン・ピエール修道院が有名だが、趣のある木組みや石造の町並みが残る。川越しに見える教会が美しい。時間が無いので村に寄るのは割愛し、川越しに写真を撮る。
テュレンヌ
三日月形に崖っぷちに固まっているこじんまりした村で、15~17世紀当時のまま残っている建物が多い。「フランスの最も美しい村」認定。領主のテュレンヌ家が文献に現れるのは823年。イギリス、フランス両国王から特権を認められ、自治権を有していた。14世紀にはフランスで最も影響力のある領主となっていた。
村に入り坂道を上ると前方にサン・バンタレオン教会が見えてくる。1661年建立のロマネスク様式。
その先を進むとテュレンヌ城の城門に出る。城が現在の場所に建てられたのは11世紀。13世紀建造の円柱状のセザール塔、14世紀建造の宝物の塔の二つの塔が目を引く。時間の関係で城の中へは入らず外から写真を撮っただけ。
古い町並みの坂道を下る。隅に持ち出しの小塔がある家屋などもありなかなか面白い。水彩スケッチはこれを描いたもの。
17時10分出発。高速道<A20><A89>を飛ばしてクレルモン・フェラン近郊のランダンを目指す。
ホテル・シャトー・モウルモン・ランダンにチェックイン。リゾートホテルか、2LDKの広い部屋で一晩の滞在ではもったいない。食堂で夕食。隣の席の人が写真を撮ってくれた。
(つづく)