旅の絵日記:2012年フランス 3

3.三日目(7月8日(日))、サン・シル・ラポピー、コルド・シュル・シェル、アルビ、カルカッソンヌ

三日目旅程:サン・シル・ラポピー→コルド・シュル・シェル→アルビ→カルカッソンヌ

サン・シル・ラポピー

 朝起きて部屋のテラスからサン・シル・ラポピーの村をスケッチ。7時に出発し朝食前にサン・シル・ラポピーのまだ回っていない部分を見て回る。

「サン・シル・ラポピー」 F0 水彩                      サン・シル・ラポピー地図

 駐車場から昨日と別の道を通って観光案内所のあるソンブラ広場へ行く。左手の崖の上に最初の城址の廃墟⑭が見える。観光案内所の脇を進むと左手に城址の城壁があり、正面にサン・シル・エ・サン・ジュリエット教会⑧が見える。サン・シルは3歳のヨーロッパで最も若い殉教者、サン・ジュリエットはその母。教会は12世紀建造のロマネスク様式の建物。15世紀にゴシック様式で大規模な改修が行われた。中世には要塞として使われたこともあるとのこと。

左:最初の城址、右:観光案内所      新城址(13-14世紀)の城壁          新城址城壁下の路
サン・シル教会                  身廊            ロマネスク様式のチャペル

 教会の庭に回るとロマネスク様式のチャペル⑨が教会から突き出しているのが見える。庭の突端、崖の家から昨夜泊まったホテル・サン・シルが正面に見えた。

 庭からドロワテ通りへ階段で降りる。正面にヴェイシェル邸(14-17世紀)⑥が見える。ドロワテ通りの突き当り、教会隣り一段下にサン・シル・ラポピー城(15-16世紀)⑩がある。ラポピーは領主の家名。展示場として使われているようだ。

ホテル・サン・シル     中央:ヴェイシェル邸(14-17世紀)   サン・シル・ラポピー城(15-16世紀)

 道なりに下っていくとペリサリア通りに出、右手にドウラ邸(14-16世紀)⑦がある。展示場として使われているようだ。左手に折れて先に進む。左手奥に広場に面してブルターニュ人の家もしくは船頭の宿屋(11-12世紀)⑪、その奥にリグノー美術館が見える。リグノー美術館はかってのサン・シル・ラポピー城の一部だったのではないかと思われる。

ドロワテ通り        ドウラ邸(14-16世紀〉   正面:ブルターニュ人の家、その奥はリグノー美術館

ペリサリア通りは村の入り口ロカマドール門⑰から始まっている。門を出て上の車道から村を眺めると、地面にくっついた屋根越しにロット川の断崖上に並ぶ村の全景が良く見える。道路際の家屋は岩を削って建てた一種の穴居住居なのだろうと思う。水彩スケッチ、パステル画はこの風景を描いた。

ペリサリア通り               ロカマドール門                  ボルド邸
「サン・シル・ラポピー」 F0 水彩               「サン・シル・ラポピー」 F10 パステ

 もと来た道を戻る。ペリサリア通りの左手山側にボルド邸(15-16世紀)⑬、その少し先右手にヴィノ邸(13-15世紀)⑫が見えてくる。

 ドウラ邸を過ぎて少し先で右折するとサン・シル教会が正面に見える。この道を上ってドロワテ通りに出、左手へ進む。この辺りアラン・プリラード・シャルロッテ(絵画、彫刻)、ミシェル・コバーン(絵画、漆)などアーティストの店が多い。

ヴィノ邸(13-15世紀)       アラン・プリラード・シャルロッテ         ミシェル・コバーン

 8時にホテルに戻りテラスで朝食。9時15分出発。D24、D991、D922経由でコルド・シュル・シェルを目指す。

テラスで朝食            1階左から2番目が止まった部屋         中央1階が止まった部屋

コルド・シュル・シェル

 「空の上のコルド」という意味の村の名の通り、海抜290mの丘の上に中世からの石造りの民家や邸宅が建ち並んでいる、天空に浮かぶ美しきゴシック建築の村。13~14世紀建造のゴシック様式の貴族の館が数多く残されており、「100本のオジーブ(オジーブ状の窓)を持つ街」として有名。雲海の上に浮かぶ姿は素晴らしいという。

 ミディ・ピレネーで最も古い中世の計画都市(バスティード)として知られる。キリスト教カタリ派の防衛拠点として1222年にトウルーズ伯レーモン7世によって築かれた。中世の毛織物や絹織物、革製品の取引で栄えた。

 11時20分駐車場に着く。村への道にアートが置かれている。村への入り口の角に観光案内所があり、資料をもらってロロジュ大通りを上る。ロロジュ大通りの終わり近く右手にサン・ジェームス・チャペル(16世紀)⑲がある。

コルド・シュル・シェル地図                                道路のアート
右手:観光案内所          ロロジュ大通り        サン・ジェームス・チャペル(16世紀)

 この少し先が大時計の付いたロロジュ門(14-16世紀)⑰。かってこの村は4重の城壁で囲まれた城塞都市で、名残の6つの門の一つ。振り返るとずいぶん登ってきたのが分かる。右手にペーター・ノスター階段(19世紀)⑱という百段階段のある道が下っている。

ロロジュ門(14-16世紀)         ロロジュ大通り見返り             バアバカン大通り

 ロロジュ門を入ってバアバカン大通りを進むと前方にバアバカン塔(13-15世紀)⑯という防御施設の塔が見えてくる。バアバカン塔を過ぎるとすぐ先にヴァンクエ門(戦闘者門、13世紀)⑮。門の左手に城壁沿いのミトン通りが伸びていて周囲の眺望が開ける。

バアバカン塔(13-15世紀)       ヴァンクエ門(13世紀)                ミトン通り

 門を入って進むと左手にゴルセ邸(16世紀)⑭があり、そのすぐ先右手にポターユ・ペン門(13世紀)⑬。ペンキを塗った正面の門だったらしい。

ヴァンクエ門内側            左手:ゴルセ邸(16世紀)      ポターユ・ペン門(13世紀)

 ここが正式の旧市街の門だったようで、レーモン7世大通りが始まり、中世の立派な建物が建ち並ぶ。しばらく進むと右手にブリド(馬勒)広場があり、そのすぐ先の右手にマーケット広場⑩

ポターユ・ペン門内側             ブリド広場               レーモン7世大通り

 旧市場はもともとは1273年に建てられたが、現在の建物は14世紀に再建されたもの。カフェ・バーとして使用されている。広場にある井戸は17世紀に造られたもので114mの深さがあるという。

 さらに進むと右手にサン・ミッシェル広場があり、北側に13世紀建造の南仏風ゴシック様式サン・ミッシェル教会(13-15世紀)⑦が面している。広場の南側にはゴシック建築の傑作グランド・ヴルーヌ邸(13世紀)⑥が面している。

マーケット広場           グランド・ヴルーヌ邸(13世紀)        サン・ミッシェル広場

 その先左手にはラドヴェス館(13世紀)④、右手にゴウジラン館(13世紀)⑤が向き合っている。さらに進むとオルモ門(13世紀)①に行きつく。

中央:ラドヴェス館(13世紀)     ゴウジラン館(13世紀)               オルモ門内側

 オルモ門の外がイーヴ・ブライア広場でここから西側の風景が一望に見渡せる。門に向かって右手にシアウデ通りが伸び、左手に城壁が続いている。

イーヴ・ブライア広場からの眺め        シアウデ通り                    城壁

 門を入って旧市街に戻ると、門前の小広場から右手にレーモン7世大通り、左手にサン・ミッシェル通りが伸びている。サン・ミッシェル通りを進み、サン・ミッシェル教会の前を通ってヴァンクエ門から元来た道を戻る。

オルモ門とイーヴ・ブライア広場   左:サン・ミッシェル通り、右:レーモン7世大通り   サン・ミッシェル通り
サン・ミッシェル教会          サン・ミッシェル広場              レンズ豆?の畑

 12時53分出発。村に向き合う小高い丘まで行くと村の眺めが素晴らしい。水彩スケッチ、パステル画はこれを描いた。丘の上には一面にレンズ豆?の畑が広がっていた。

 D600経由でアルビに向かう。

「コルド・シュル・シェル」F0 水彩              「コルド・シュル・シェル」 F10 パステ

アルビ

 タルン川に面した商業都市。歴史は古く、ローマ帝国によって都市が建設された。12・13世紀にキリスト教の異端として迫害を受けたアルビジョワ派(カタリ派)はこの都市名に由来している。タルン川流域の粘土を用いた赤レンガの建物が多く、<赤い町>とか<バラ色>として知られる。旧市街は世界遺産

 14時アルビに着く。駐車場から北に向かってリス・ジョルジュ・ポンピドウを進む。中央が公園になっている大通り。並木道に張られた色とりどりの布が緑に映えて美しい。左手の劇場を過ぎてマリエ通りに入る。しばらく行くと前方にサン・セシル大聖堂が見えてくる。

アルビ地図            リス・ジョルジュ・ポンピドウ      リス・ジョルジュ・ポンピドウ
劇場                    マリエ通り             右:サン・サルヴィ教会

 サン・サルヴィ教会の塔が見えて来たところで左折するとクロフトル・サン・サルヴィ広場に出る。サン・サルヴィ教会の建物はあるが入り口が見つからないので引き返してマリエ通りを少し行くとサン・サルヴィ教会の入り口が見つかった。

クロフトル・サン・サルヴィ広場      サン・サルヴィ教会           ・サルヴィ教会入り口

 入り口から石段を登っていくと回廊のある中庭に出る。サン・サルヴィ教会はアルビで最も古い教会でロマネスク様式の建物。回廊は1270年の建造。教会の鐘楼に地区を支配する見張り塔がくっついているのが特徴。

回廊                      中庭                     見張り塔

 サン・サルヴィ教会を出てマリエ通りを進むとすぐ先にサン・セシル広場があり、正面にサン・セシル大聖堂、右手にベルビー宮がある。広場には周りの店の客のように一休みする女性の彫像があり、町の雰囲気に溶け込んでいる。

サン・サルヴィ教会身廊        サン・セシル大聖堂、内陣側              ベルビー宮
サン・セシル大聖堂               広場の彫像          サン・セシル大聖堂入り口

 サン・セシル大聖堂はアルビジョワ派が消滅した後、1282年にカトリックの権威と威光を示すために建てられたもので、高さ40mもの壁を持つ要塞のような外観となっている。ゴシック様式だがフライングバットレスは無く、円筒状の控え壁が林立しており窓も少ない。入り口は聖堂の側面中央にあり、中に入ると厳つい外観と違って、内部はその生産で栄えた町らしく、パステル(青色の染料タイセイ)をふんだんに使ったアーチ型の天井は華麗で、内陣と身廊を仕切る繊細な彫刻を施したジュベは南フランスのゴシック建築の傑作とされる。15世紀フランドル派によって描かれたフレスコ画最後の審判」がある。

サン・セシル大聖堂身廊               身廊                     内陣
身廊                     内陣との仕切り                ベルビー宮

 大聖堂を出て隣接するベルビー宮へ行く。13世紀建造の司教館で1922年からロートレックの作品を中心に展示するトウルーズ・ロートレック美術館となっている。なお、ロートレックはアルビの生まれで生家も残っている。時間の関係で内部を見るのはパスし、入場無料の庭園に入る。庭園は2辺をベルビー宮に、他の2辺をブドウ棚の回廊で囲われており、ベルビー宮の全貌も見渡せる。川沿いの回廊からはタルン川の風景が眺められ、手前に旧橋、その奥に新橋も眺められる。丁度タルン川を行く遊覧船が通り過ぎた。

庭園               庭園を取り囲むブドウ棚の回廊            ベルビー宮と庭園
タルン川、手前が旧橋、奥が新橋      タルン川を行く遊覧船                 竹の庭

 竹の庭を通ってアンゲッス通りを進み、1040年建設のポン・ヴィユー(旧橋)に出る。橋のすぐ右手に川の段差を調節して船を通行させる閘門がある。橋を渡り向こう岸を新橋まで行くと、旧橋の架かるタルン川の向こうにサン・セシル大聖堂が聳えたつ眺めが素晴らしい。水彩スケッチはこれを描いた。

堰と閘門                      「アルビ、タルン川とサン・セシル大聖堂」 F1 水彩

 新橋を渡り真っ直ぐリス・ジョルジュ・ポンピドウを通って駐車場に戻る。16時15分出発。D612、N112、D118を経由してカルカッソンヌへ向かう。

カルカッソンヌ

 交通の要衝として紀元前3世紀に要塞としてつくられ、古代ローマ帝国の都市として発達した。1130年に城の建設に着手する一方、ガロ・ロマン期の城壁の修復にかかった。この時初めてカルカッソンヌは完全な城壁に囲まれた都市となった。アルビジョワ十字軍による侵攻を受け、1226年にフランス王領に組み込まれた。その後1659年ピレネー条約締結によってスペイン王国との国境紛争が解決し、前線基地としての役割が無くなるとともに衰退、荒廃したが、1853年に修復工事が始まった。ヨーロッパ最大規模の城壁が残る旧市街は世界遺産

 18時30分、道路の向こうが城壁のホテル・ド・シャトーにチェックイン。部屋はコテッジのように分散してテラスも付いている。

カルカッソンヌ地図            ホテルの部屋のテラス        カルカッソンヌ城壁と空堀

 19時に城壁内の旧市街シテの観光に出かける。城壁の空堀沿いに進むとナルボンヌ門の前に出る。門に通じる石橋にダム・カルカスの胸像がある。サラセン人の占領下にあったカルカッソンヌカール大帝に包囲され、5年を超えて食料も尽きかけたが、女領主ダム・カルカスの城内には食料が十分にあると見せかけた偽計によってカール大帝の軍を撤退させた。ダム・カステルは勝利を祝福し、町中の鐘を鳴らさせた。撤退中の大帝軍の書き記した「カルカスが鐘を鳴らしている(Karcas Sonne カルカ・ソンヌ)」が伝説では市の名前の由来となったという。

ダム・カルカスの胸像            ナルボンヌ門                 シテの町並み

 ナルボンヌ門を入ると、シテは二重城壁に囲われているのがよく分かる。内側の城門を入り石畳の道を進むとコンタル城前の広場に出る。コンタル城は11~13世紀に建造されたものだが廃墟になっていたのを19世紀に復元されたもの。塔の尖がり屋根がついているがもともとは無かったというので物議を生じたことがある。

シテの町並み            コンタル城、右の塔は貯蔵蔵      サン・ナゼール・バジリカ聖堂

 城前広場から少し先に行き左折して南に進むとサン・ナゼール・バジリカ聖堂の前の広場に出る。広場に面して有名なホテル・ド・ラ・シテが建っている。サン・ナゼール・バジリカ聖堂は11 ~13世紀建造のロマネスク様式とゴシック様式の融合した建物。ゴシック様式の特徴であるフライングバットレスは無い。

聖堂広場、左:ホテル・ド・ラ・シテ       聖堂身廊             内陣のステンドグラス

 内陣側に回るとサン・ナゼール門がある。引き返して城前広場からの路で左折しオード門から出る。コンタル城の城壁の前は広い草に覆われた斜面になっている。ここから有名なヴューポイントであるポン・ヴィユー(旧橋)まで行き、カルカッソンヌの壮大な城壁を眺める旧橋橋はかってはシテと下町(城下町)をつなぐ唯一の路であった。

サン・ナゼール・バジリカ聖堂       サン・ナゼール門           オード門への二重城壁内
コンタル城            旧橋からのカルカッソンヌ城壁    オーベルジュ・ド・ダム・カルカス

 再度シテに戻り夕食を摂る。オーベルジュ・ド・ダム・カルカスという手頃な料金で美味しい郷土料理を味わえるという店に行ったが満員で1時間後でなければ駄目というのでその前の広場に面した店のテラス席に着く。料理は量がたっぷり。ウエーターが写真を撮ってくれた。

ワイン                      スープ                  テラス席で
サラダ                     魚料理                     鶏料理  

 食事を済ませライトアップされた城壁を眺めるため、再度オード門を出て旧橋に向かう。途中、オード門を出て振り返ると薄暮の中に浮かび上がる城壁はとても美しかった。パステル画はこれを描いたもの。旧橋からの帰り道で塀に古い壁画が描かれてライトアップされているのがなかなか良かった。

カルカッソンヌ」 F10 パステル                              コンタル城
旧橋からライトアップされたシテ        塀の壁画                    塀の壁画

 

(つづく)