10.十日目(5月11日(日))、シュライスハイム城、ネルトリンゲン、ディンケルスビュール、ローテンブルグ
8時40分、ホテルを出てミュンヒェン空港に行き、新しい車に変える。カウンターでひと悶着あったがOK。走り出してからエアコンが効かないことが分かったが、引き返すのも面倒なので我慢することにする。ホテルに戻り、7時40分から朝食、8時40分ホテル出発。
シュライスハイム城
シュライスハイム城はウイルヘルム侯爵が16世紀末にシュライスハイムの湿地帯を購入し、農場として隠棲したのが始まり。三つの城と庭園からなり、旧城は息子のマクシミリアン1世が1617年以降建設したイタリア北部のヴェネト様式の影響を受けたヴィラ建築。現在はバイエルン州立博物館別館となっている。ルストハイム城は17世紀末にマックス・エマヌエル選帝侯の婚礼を祝って建設された。現在は美術館として利用されている。新城はマックス・エマヌエル選帝侯が1700年から建設を開始したバロック様式の宮殿でヴェルサイユ宮殿を模したと言われる。
9時到着。駐車場から進むと旧城と新城の間の庭に出るが、北側の旧城に向かう。正面入り口から入ると中庭に出る。北側には奥に向かう塔のある門があるが引き返す。
旧城に向かい合って新城がある。バロック様式の立派な建物でマックス・エマヌエル選帝侯が神聖ローマ皇帝になることを目指して宮殿にするつもりで建設したが、スペインとの戦争に敗れ実現しなかったとのこと。時間の関係で内部は見ずに外回りだけにしたが、内部も豪華なつくりとのこと。
新城の南側に広大なバロック庭園が広がる。長い水路の向こうのルストハイム城は割と小規模な建物だ。ルストハイム城北側の庭から振り返ると新城の正面が水路の向こうに見える。10時25分出発。
ネルトリンゲン
ネルトリンゲンは1500万年前に隕石が落下して出来たリース盆地の中にある。ほぼ完全な形で残された城壁に囲まれた、中世そのままの可愛い町。城壁は1327年に建設されたもので5つの楼門、11の塔、2つの堡塁を持つ。
11時45分到着。城門に入る前に聖霊降誕祭のパレードに出くわし、そばに車を止めて見物。揃いの中世の装束に身を固めた旗手・楽隊を先頭に、地区ごとのサッカーチーム等次々と続く。
14世紀建造のライムリンガー門㉕から入り、城壁に登って屋根付きの歩廊を歩く。赤い屋根越しに町の中心に立つ聖ゲオルグ教会の塔が見える。ダイニンガー門㉗を過ぎロプシンガー門㉘で降りる。
ロプシンガー通りからシュランネン通りを進むと聖ゲオルグ教会が建つマルクト広場に出る。広場の入り口には1870/71年のフランス戦役と1871年のドイツ帝国設立を記念する戦争の泉㉚がある。広場に面した大きな木組みの建物は1442~44年に建造されたタンツハウス④で交易ホールとして使用されていた。タンツハウスの横の道の少し先に市庁舎⓶がある。1313年にはすでに市場として利用されていた建物を市が1382年に賃借りし、それ以来ずっと市庁舎として使われてきた。
円形の旧市街の中心に立つ聖ゲオルグ教会①は1427~1505年建造のゴシック様式の建物。ダニエルと呼ばれる90mの塔に登ると城壁に囲まれた円形の街とその外に広がる直径約25kmのリース盆地の様子がよく分かる。パステル画はこれを描いたもので、初めてパステルで描いて展覧会に出展した思い出の作品。描きあがった時に故柴山先生に見て頂き、「いいじゃないか。緑がきれいだね。展覧会でも目立つと思うよ」とおっしゃって頂いてほっとしたことを覚えている。
ライムリンガー門から出て13時15分出発。
ディンケルスビュール
手工業や交易で繁栄した帝国自由都市ディンケルスビュールは、外敵に備えて15世紀まで築き続けた城壁に取り囲まれている。農民戦争や30年戦争から第二次世界大戦に至るまで、幾多の戦いをくぐり抜け、ほとんど戦争の被害を受けていない中世都市の美しい面影をとどめている。
ヴェルニッツ門⓬から入る。4つの門塔の中で最古の門で14世紀の建造。門を入った所が旧市庁舎広場で、祭りの出番を待つらしい人たちが集まっている。真っ直ぐ進むとマルクト広場で、十字路の左前方に1290年建造のカメリター修道院⓮がある。1909年にプロテスタントの自治体が買い取った。今日では、音楽職業専門学校などがある。付属のプロテスタント派聖パウルス教会は1840~43年の建造。マルクト広場に面して建つ聖ゲオルグ大聖堂❶は1448~99年建造の後期ゴシック様式のハレルンキルヒェ(ホール型教会)。身廊と側廊の高さが同じ作りで窓が大きく明るい。
大聖堂正面のワインマルクトには切妻破風の建物が並ぶ。左端のグスタフ・アドルフの家は30年戦争で占領したスウェーデン軍の将軍が宿泊したのでその名で呼んでいる。包囲したスウェーデン軍がこの町を破壊しようとしたとき、子供たちが敵の前に進み出て必死で慈悲を乞うた。その中に、我が子の面影を見た将軍は心動かされ、町の破壊と略奪をとどめた。以来、この逸話にちなんだ「キンダーツェッヘ(子供たちのもてなし)」と言う祭が毎年7月に催されている。左から3番目のドイチェスハウスは1440年以前建築の木組みの建物で貴族の館。今はホテルとなっている。
ワインマルクトの先Dr.マルティン・ルター通りを進むと右手にシュピタール貧窮院❷がある。1280年頃寄贈され、1380年に貧窮院教会”聖堂”が建設されたもの。さらに進むとローテンブルク門❸に到る。1390年頃の建造。
門を出ると濠の向こうに牢獄付きのファウルの塔(怠け者の塔)❹が見える。
中へ戻って右手に進むと古い普請場の倉庫❺がある。どっしりした木組みの建物で16世紀初めに建てられた。
城壁沿いの道を進むと緑の塔があり、その先の三王の塔の向かいに1508年建造の木組みの建物がある。穀物倉庫❻として建てられたが、現在はユースホステルとなっている。さらに進むとゼークリンガー門❽がある。ほかの塔と様式が違うのは1648年にスウェーデン軍の攻撃で塔が崩壊したが1655年にイタリア人建築家のデザインで再建されたため。門の外へ出ると空堀に遊歩道が設けられている。
ゼークリンガー通りを東に進むとポケットパークで楽隊の演奏が行われていた。
マルクト広場を過ぎてさらに進むと、ヴェルニッツ門を入った旧市庁舎広場では民族衣装の人たちのダンスが行われていた。城壁の外の緑地で移動式式のロッククライミング用の塔が据え付けられ、挑戦している人たちがいた。お祭りで民族衣装の人たちが繰り出し、音楽や踊りを披露。大変な人出で大混雑だが楽しい思い出。
ローテンブルク
タウバー川が西南を流れる高台の町。起源は9世紀頃で、最初の城壁は12世紀に出来上がった。自由都市として栄えたのは17世紀の30年戦争のころまで。中世の面影をほぼ完ぺきに残している町として知られる。
大変な人出で駐車場は何処も満杯。ドッペル橋(二重橋)Ⓨのそばに駐める。14世紀の建造だが古いローマの高架橋のように見える。橋の近くにコボルツェラ教会がある。1472~1501年建造の後期ゴシック様式の教会。教会の宝物は1525年の農民戦争の時略奪された。
坂を上りコボルツェラー門Uから入る。1360年頃建造された、中庭と4つの門を持つローテンブルクで最も興味ある堡塁とされる。そのまま進むとプレーンラインⓉという小広場に出る。木組みの家とジーベルス塔が作り出す最も魅力的な中世の風景として人気のヴューポイント。民家の玄関廻りなどもきれいに整えられている。
北へ向かう下シュミート通りを進むと左手に聖ヨハニス教会Ⓖがある。1390~1410年の建造。最初の市壁の門が東側の切妻壁に組み込まれていたとのこと。その先、上シュミート通りを進むと町の中心マルクト広場に出る。
広場に入った左手に聖ゲオルグ泉Iがある。深さ8m、容量100000ℓで市で最大のもの。後期ルネッサンス様式の装飾は1608年のもの。その西側にクリスマス博物館Ⓧがある。
マルクト広場の西面に市庁舎Aが建っている。市庁舎は2棟からなり白い塔のあるゴシック様式の建物は1250~1400年に建造された。前側のルネッサンス様式の建物は1572~78年に建てられた。市庁舎の塔に登り、市街の様子を一望に眺める。
市庁舎に隣接して北面に市議宴会場Ⓑがあり、切妻の壁面にマイスタートルンクの伝説にちなんだ仕掛け時計がある。1631年、30年戦争のさなかのこと、ローテンブルクを占領した皇帝軍の将軍が市参事会員たちの首を刎ねることになった。たまたま市のワインを勧められたとき、将軍は「この大ジョッキを一気に飲み干すものあらば斬首は止めよう」と言った。市長がこれを受け、見事に一気に飲みはして、この窮地を救った。その時の様子を再現したのがマイスタートルンクの仕掛け時計。
市庁舎横に野外舞台が設えられており、中世の衣装を着けた芸人たちが演じていた。
市庁舎横のヘルン通りを西に進む。右手にドイツ最大級のテディベア専門店がある。向かいにあるのがゲーテ学会。その隣に聖フランシスコ教会Ⓚ。1285年に初期ゴシック様式で建てられたローテンブルク最古の教会。
その先右手に人形劇場があり、突き当りがブルク門Ⓛ。門の上部にある人面の口から外敵に熱いピッチが注がれる仕掛けになっている。
門を抜けるとブルク公園Ⓜ。ホーフェンスタウフェン家が1142年に神聖ローマ皇帝の城として建てた跡地。皇帝として統治したのはコンラッド三世一代だけだが、市が築かれる基盤となった。1356年の地震で倒壊したが、石材はローテンブルク市壁の建造に利用され、跡地は公園として公開されている。唯一聖ブライス礼拝堂が改修され、現在は二つの世界大戦で戦死した兵士の慰霊に使われている。
ヘルン通り戻り教会小路へ左に進むと聖ヤコブ教会Ⓒに出る。建設は1311年に始まったが完成し献堂されたのは1485年。血の祭壇は必見とされるが時間の関係でパス。教会前に姿の良い銅像が建っている。
聖ヤコブ教会前の道ゲオルゲン通りをまっすぐ進むと白塔Ⓓに到る。ブルク門、マルクス塔同様12世紀の昔の城壁の門だった。手前で右に折れハーフエン通りで左に進むとマルクス塔Eがある。マルクス塔を抜けて振り返った眺めは人気のヴューポイント。
この先レーダー通りをまっすぐ進むとレーダー門Ⓡに出る。レーダー門は14世紀末頃に建設され、税関の建物と衛兵の宿舎で側面を防御されている。レーダー門脇の城壁沿いにカフェテラスがあり、おしゃれな眺め。
レーダー門から城壁に登りシュピタール門まで歩く。レーダー門の近くに魅力的な木組みの破風を持った建物がある。50数年前まで鍛冶屋Ⓢとして使われていた物。城壁からは一面の赤い瓦屋根と所々塔が見える。特に聖ヨハニス教会、市庁舎、聖ヤコブ教会の塔がまとまって見えるのは印象的。
シュピタール門Ⓦは城壁の最南端にある。17世紀に建造された2つの中庭を持つ稜堡によって守られている。
シュピタール通りを北へ進むとジーベルス塔があり、これを抜けるとプレーンラインに出る。ここから来た時と逆に坂を下りドッペル橋近くの駐車場に戻る。
近くの麦畑の丘に行き、写真を撮る。菜の花畑、麦畑の向こうに、丘の上のローテンブルクの町が印象的。
マルクス塔に隣接するロマンティックホテル・マルクス塔にチェックイン。広くてきれいな部屋。ホテルの食堂で夕食を摂る。アスパラガスのスープが美味しかった。
(つづく)