4.五日目(9月22日(火))、ラ・ロック・ガジャック、ドンム、カステルノー城、ベナック城、サルラ、エリニヤック・マナー庭園
8時30分からの朝食前にホテルの写真を撮る。ホテル・エドワード1世は19世紀初めに建てられた商人の館を改装したもの。濃霧で周りがぼやけて見える。
9時濃霧の中を出発。今日はドルドーニュ渓谷の美しい村や城などを回る予定。
ラ・ロック・ガジャック
ドルドーニュ川沿いの切り立った崖を背に輝く河岸の村。外敵を防ぐために崖にへばりつくように家が建てられており、洞窟の砦がある。「フランスの最も美しい村」認定。
9時45分、駐車場に着く。霧の中の眺めは幻想的。駐車場近くに上の 道への登り口があるが、川岸の道を歩いて城館へ。城館の先にも崖に張り付くようにして少し家があるが、城館が村のはずれのようだ。
城館の少し手前から坂道を上り上の道へ。崖が迫り、片側の家は崖に張り付いて立っている。開いている店をのぞいたら奥行きは浅く、岩がむき出しになっている。村の建物はおおむね石造で屋根は赤い色の石で葺いているのが多いようだ。川側は所々町並みが切れて下の建物の屋根越しにドルドーニュ川の流れが見える。
やがて崖の洞窟に築かれた砦が見えてくる。岩肌を掘って12世紀に築かれたもの。そこへ上る木製の階段は崖から張り出して取り付けられている。登り口近くにジャン・ダルドの館の裏口が見えてくる。
ラ・ロック・ガジャック出身の哲学者ジャン・ダルドの館は15世紀に建てられたもの。螺旋階段の円錐状の屋根を持つ塔はペリゴール地方の典型的な造り。水彩スケッチはこの館を描いたもの。
ジャン・ダルドの館を過ぎてしばらく行くとノートルダム教会の前に出る。1330年に最初の建築がなされたが、宗教戦争の際に村の郊外にあった教会が破壊されてしまったため、貧者救済の慈善病院の礼拝堂を用いるようになったとのこと。ロマネスク様式の建物で、この地方の特徴的な造りとして鐘が正面の壁に取り付けられている。
駐車場に戻るとガバールと呼ばれる遊覧船が停泊している。舳先近くに帆を持つ面白い形の船だ。19世紀には近くのドンムのワインをボルドーへ運ぶ交通手段として活躍したが、現在は遊覧船として利用されている。水彩スケッチはこの船を前景にラ・ロック・ガジャックの村を描いたもの。絵の中央奥の大きな建物は城館。
駐車場のそばの広場に市場らしきものがあらる。最後の頃になって大分霧が晴れて来た。
ドンム
ドルドーニュ渓谷にそびえ立つ標高250mの断崖の上にあるバスティード(計画都市)。アルビジョア十字軍(異端アルビ派(カタリ派と同義)討滅の戦い)の際、1281年にフィリップ3世によって建設された。百年戦争中、1347年にイングランド軍に制圧され、支配下に入ったが、幾度かの争奪戦の後、1437年にフランスに返還された。黄色味を帯びた石造の家屋が建ち並ぶ中世の面影を残す町並みで、「フランスの最も美しい村」認定。
11時、ロデ広場の駐車場に着く。ここには貨幣打刻人の館➓が建っている。水彩スケッチはこれを描いたもの。
大通りを進むとラ・アール広場に出る。17世紀建築の旧市場❹が目に付く。ラ・アール広場の真下に約450mの鍾乳洞の地下洞窟が広がっており、百年戦争、宗教戦争の時代には住民の避難場所として用いられていた。旧市場は現在は地下洞窟の入り口になっている。
旧市場の向かいに15世紀建築の司令官の館❶がある。現在は観光案内所のある村役場になっている。その隣にノートルダム・ド・アサンプション教会❺がある。13世紀から続く教会は宗教戦争の際1589年に破壊されてしまった。現在の建物は1622年にその石を再利用しながら建てられたもの。
教会の先を進むとドルドーニュ川を望む展望台に出る。ドルドーニュ渓谷の絶景が眼下に広がり、先ほど訪れたラ・ロック・ガジャックの村も遠望できる。
展望台から村の城壁の外の「断崖の道」と名付けられた道を進むと 公園に出る。公園の切れたところにある王の風車❽で引き返し、ポール・レクルス通りを進み、アウグスティヌス修道院を過ぎたあたりで脇道に入り、ボス門通りで右折して進むとボス門⓫に出る。13世紀の城壁、ボス門、これから行くコンボ門、トウール門は当時の姿をとどめている。
13世紀の城壁⓬が残る城壁通りを進むとコンボ門⓭に出る。コンボ門から中に入って右手に進むとトウール門に出る。
トウール門⓮は13047年にテンプル騎士団員の監獄として用いられた。約70人のほどが収容され、彼らの落書きが残る。ロデ広場に戻り、12時出発。
カステルノー城
ドルドーニュ渓谷にそびえ立つ中世の軍事要塞。現在は中世の戦闘の様子を伝える武器博物館となっている。12世紀にはすでにあったとされる。13世紀にカタリ派の領主の居城となったが、アルビジョア十字軍で敗れ、天守閣と城壁を残して破壊された。その後再建され、百年戦争ではイギリス軍の拠点となった。フランス革命以降は廃墟化したが、1966年、歴史的建造物に設定され、復元、1985年、現在の城が完成した。
12時30分、駐車場に着く。入り口を入って少し上ると15世紀の城館と16世紀の円筒形の砲兵の塔が目の前にそびえ立つ。その下で回って城門から入る。左手は15世紀の低部囲壁、右手の円筒形の防御装置は15世紀の物。城館の中庭を囲む中堤は13世紀の物。
上部中庭の横には稜堡、奥に小城塞がある。稜堡は16世紀のもので屋上に投石器などが置かれている。稜堡の上からドルドーニュ川の向こうに敵対関係にあったベナック城が霞んで見える。眼下にドルドーニュ川が見え、カヌーを楽しむ人たちがいる。
低部中庭の向こうに城館がある。円筒形の防御装置との間にある簡易迂路を上がって城館中庭へ。片隅に井戸がある。さらに上がると城館への入り口があり、眼下に城下町の様子が眺められる。
城館の中は武器博物館。中世の様々な武具が陳列されている。巨大弩はちょっとした大砲の感じ。厨房が残っているが、リブボールトの立派な部屋。
13時20分、出発。城下町を歩いたが、中世のままの感じ。デザインの面白い本屋の看板があった。城のある岩山の麓で写真を撮っていたら、おばさんが出て来てパンにフォアグラを塗ったものの試食を勧める。美味しかったので一瓶土産に買う。車を止めたのが、フォアグラを作っているところだったらしい。
ベナック城
ドルドーニュ川を見下ろす断崖上にそびえる。最初の主塔と二重の城壁が築かれたのは1115年。イングランドの獅子心王リチャード1世が第3次十字軍遠征の帰途、この城を占領し、城主だったとのこと。百年戦争ではフランス側の拠点となった。数々の戦乱を経て20世紀初めには廃墟同然となったが、1961年に現在の所有者が完全修復を条件に1フランで購入し、莫大な私財を投じて見事に修復され、一般公開されている。
ベナック城のある岩山の麓、ドルドーニュ河畔にあるベナック・エ・カズナックは魅力的な中世の村で、「フランスの最も美しい村」認定。石畳の急斜面の道を上ると古城にたどり着くが、車で上の駐車場まで行く。
駐車場のある広場に面して村の城門がある。黄褐色の石造の家並みが続く道を進む。陶工の看板なども面白い。やがてベナック城の城門前の広場に出る。現在の所有者は城門の2階に住んでおられるとのこと。
城門を入ると内外二重の城壁に囲まれた外郭。右手に進み、内壁の城門を入ると広い内郭の下の段に出る。左前方に城館が建っている。右手にある斜路を上がると内郭上の段の広い芝生が広がる。右手前方の端部に13世紀建造の礼拝堂があり、これに向かい合って左手端部に城館が建つ。この間の城壁からは眼下にドルドーニュ川と流域の眺めが一望できる。先ほど訪れたカステルノー城も見えるはずだが霞んでよく見えない。
城館は14世紀建造の物。城館に入ったあたりは窓も少なく、昔のまま再現するというので電灯もないので暗いが、上の居住部分になると結構明るい。大広間は城の中心だけあってボールトの広い部屋。
獅子心王リチャード1世の部屋は家具なども入ってそれなりの雰囲気。天守閣のテラスからは内郭の様子や断崖に建つ城、ベナック・エ・カズナックの村の様子がよく分かる。
リブボールトのある立派な周り階段を下りると大きな厨房がある。
城館から出て入り口を振り返ったら、跳ね橋を引き上げる綱が見えた。さすが、何重にも防御が施されている。
駐車場へ戻る途中、村はずれに円筒形で石葺きの小屋があった。南イタリア、アルベロベッロのトウルッリと同様の造りか?
14時40分駐車場出発。麓で城を背景に村の写真を撮る。東北方向のサルラに向かう。
サルラ
13~14世紀に商業の中心地として繁栄した。百年戦争で美しい中世の街並みは破壊されたが、その後、建築の修復や増築などによって、独特の建築物が生まれ、中世からルネッサンス、17世紀の建物が混在して残る町並みで知られる。1962年にマルロー法(歴史的町並み保存法)の適用第一号として見事に復元された。大観光地で人出が多い。
15時30分、南側、市城壁外の駐車場に着く。東側に裁判所が見える。城壁の門を潜りトーニイ通りを進むと右手に観光案内所❶があり、町の地図をもらう。
そのすぐ先がペイロー広場でサン・サセルド大聖堂❷やそれに向き合う形でモンテニューとの親交で知られる詩人ラ・ポエシの家㉒がある。ルネッサンス様式で16世紀の建築。
大聖堂は16~17世紀建造のゴシック様式。右側の側廊横から出て修道院の中庭を進むと泉の中庭❹に出る。井戸のそばの狭い道を進むと大聖堂内陣裏手の墓地に出、共同墓地として17世紀に建てられた「死者の角灯」と呼ばれる塔❺がある。
墓地の庭を出たところがモンテニュー通り。これを横切り、墓地から続くシルヴァン・カヴェル通りを進むと突き当りに四角く赤い傘をベランダにかざした趣のある建物が現れた。水彩スケッチはこれを描いたもの
この建物の西側のアルブッセ通りを進み、突き当たって右手の初審裁判所通りを少し行ってから右折して進むと初審裁判所❽がある。16世紀の建物で階段室の明り取りを兼ねた鐘楼が特徴的。
その先をぐるっと回って元の道の戻って進み、フェネロン通りに出たところで左折。やがて右手に少し引っ込んでジェラール館➓の入り口が見える。16世紀の建物で中庭を囲んで建っている。ルネッサンスのギャラリーなどがあるが時間が無いのでパス。
その先すぐの所に町の中心リベルテ広場⓫がある。毎週土曜日この地方で最も活気のある朝市が開かれることで知られる。前方奥にサン・マリー教会⓬。14~15世紀のゴシック様式の建物で、現存するのはリブボールトのある2区画と鐘楼だけだが、有名な建築家ジャン・ヌーヴェルによって改修されオープンマーケットとなっている。
広場の東側には市庁舎が面している。
サン・マリー教会の横を通り、内陣裏側で右折するとガチョウ広場がある。サルラはフォアグラが有名で、サルラのシンボル「ガチョウ」の像がある。その先すぐの左手にプラモン館(領事館)がある。14~16世紀の建築でサルラで最も注目すべき邸宅の一つ。領事通りを進むと聖母の泉がある。ほかにも元サン・マリー教会、木組みの家などもある。
リパブリック通りからジャン・ジャック・ルソー通りに入る。円柱のある入り口は17世紀のバロック様式の礼拝堂⓰か? やがて死刑執行人の塔⓲に着く。18世紀の建物で当初は「新しい塔」と呼ばれていたが、死刑執行人の住居だったのでそう呼ばれるようになった。
ハングマン塔で左に入って狭い道を進み、ボエシ通りに出ると前方にサン・サセルト大聖堂の鐘楼が見える。真っ直ぐ進まず左折し、古い建物の残るルシアン・デ・マルヴィル広場、アンドレ・マルロー広場などを経てサン・サセルド大聖堂のあるペイロー広場に出る。駐車場に戻り、17時20分出発。
エリニヤック・マナー庭園
デザインの美しさと独創性で卓越した歴史的なモニュメントであり、フランス庭園のグランプリを受賞している。樹木を刈り込んで造るトピアリー庭園として有名。18世紀に造られたが、19世紀に当時の流行で英国式庭園に改造されたのを、現在の所有者の父が約40年前に元に戻すことを決意し復元した。マナー・ハウス(小領主の館)は17世紀に建築されたもの。
17時45分駐車場に着く。入り口から入ると広い芝生の広場があり、トピアリーのアーチ型の門から入り小路を進むとツノギの小道①と交差する。右手には林があり、高い生垣で囲われた小道が放射状に延びている。正面の小道の突き当りには中国風の東屋が見える。反対側はフランス式庭園へと続くツノギのトピアリーが両側に並ぶ芝生の小道。
最初の小道をさらに進むと芝生の細い広場があり、左手の高生垣の中央あたりに休憩用のパビリオンが建っている。
さらに進むと高い生垣に囲まれた小さな円形の広場に出る。中央に花瓶が据えられ、生垣には窓が開いている。ここが花瓶の小路➁の始点。花瓶の小路には尖頭のあるアーチが並んでおり、終点あたりに英国式庭園の名残③が見られる。
この先に広場に面してマナー・ハウス➃が建っている。マナー・ハウスの反対側の広場の境の両脇にロマネスク様式のチャペルがあり、石段を上るとフランス式庭園⑥に出る。
マナー・ハウスの前を進むと魚の池⑤があり付属建物が建っている。魚の池の脇の道を進むと魔法のテラス⑨に出る。ここからフランス式庭園、マナー・ハウスの正面を眺める軸線になっている。
その先にホワイト・ガーデン⑧があり、庭園全体に詩情と軽快さを加えている。
広い芝生の広場に戻る。庭園の高生垣の中央あたりのトピアリーアーチは休憩用パビリオンを正面から眺める軸線上にあり、庭園の見どころの一つとなっている。水彩スケッチはこれを描いたもの。
南に向かい、ドルドーニュ河畔カルサ・アラックのホテル・ラ・ヴィラ・ロマネにチェックイン。ホテルで夕食。エスカルゴは殻に入って出てくると思っていたら小さな壺に入って出て来た。蓋のラスクに乗せて食べたら美味しかった。
(つづく)