はじめに
2012年7月のフランス旅行の記録を絵日記にまとめた。
今回はフランス南部を中心に回った。ロワール川上流からタルン渓谷、南西部のケルシー、ミディ・ピレネ、ラングドック地方を経て、南部のプロヴァンス、南東部のコート・ダジュール、アルプス山地のローヌ・アルプツ法を北上し、パリに戻った。
2011年に息子が結婚し、2家族4人の旅。息子の嫁はツアー・コンダクターなので大助かりだった。
1.一日目(7月6日(金))
前夜21時55分に成田空港を発ち3時48分にドゴール空港到着。レンタルしたボルボのカーナビの操作方法がよく分からず、係員も頼りなくて手間取り、5時30分出発。
ヴァカンスに出かける人たちか、渋滞でパリを抜けるのに手間取ったがあとは順調。A77、D955経由でサン・セールへ。
サンセール
フランス中央部、ロワール川に面した丘の上の小さな町。「丘の上の町」として知られている。中世からの数々の歴史的建造物や美しい建物が散在する市街は非常に美しい。ロワール・ワインの最も上流の産地として知られ白ワインが多い。
10時駐車場に着く。ポルト・セルール通りを上り、メリディアン通りで左折して進むと左側にサンセール館⓴がある。15世紀末に建てられた領主の館をリノヴェーションして地域のワインの歴史についての博物館となっている。右手正面に鐘楼が見えてくるとサンセール館の正面に出る。ここが鐘楼広場の西の端。
* 画像が小さくて見難い場合は、画像にクリックしてください。元に戻すのも同様。
鐘楼広場の西面にはノートルダム教会❾と鐘楼❽がある。ノートルダム教会は廃墟となってしまった12世紀のサン・ジャン教会に代わり、17~19世紀にかけて建設された。サン・ジャン塔の名で呼ばれる16世紀の鐘楼は、もともと、独立した市民の役場として用いられていたが、ノートルダム教会が隣接するように建てられた後に1階部分は小さな礼拝堂となった。
鐘楼広場の東端にあるのがジャック・コウール館➓でサンセール伯爵によって15世紀に建造された村最古の建物。フランス王シャルル7世の銀行家だったジャック・コウールが所有していたことがある。
この先をまっすぐカロワ・ベロウラ通りを進むとコンネタブレ・ルイ・サンセール広場⓫に出る。ここから深い森に包まれたサンセール城の塔が眺められる。サンセール城はサンセール伯爵が12世紀に建設したもので、この城を中心にこの村は発展した。宗教戦争の際にプロテスタント派の牙城として必死に抵抗したが、6000発近くの砲撃を受けて町は陥落した。14世紀に建設された塔は城塞都市だった時代の面影を今に伝えている。
南に向かってサン・デニ通りを進むとデュ・ピュイ・デュ・マルシェ広場に出る。ここにはトマシェール館⓬が建っている。プロテスタント派の有力貴族によって17世紀に建てられた館。20世紀初頭からは銀行、1996年からは語学校の施設として利用されている。
その左端、村役場横のデグレ通りを進むと展望台に出るが、家屋の屋根が邪魔してそれほどの眺めではない。もと来た道を戻ってトマシェール館と村役場の間を抜けると村役場広場⓭に出る。
広場の北側には語学校(トマシェール館)の正面、東側には村役場がある。木組みの家屋などが建ち並び小さいが趣のある広場
トマシェール館の横のパネテリ通りから北に向かってラ・ペイ通り、トロワ・ピリエ通りと進むと旧マーケット広場❹に出る。
最初のマーケットは1456年に建設された。1883年に新しいマーケットに置き換えられ、1981年に取り壊された。現在は屋上の高さを敷地南側の高さと合わせた半地下の建物がある変化に富んだ広場となっている。広場の南側を西に進むとデ・ジュイ通りの入り口に当たり、急な坂道の向こうに周囲の風景が眺められる。
広場西側に沿って進むと広場北側の角にギアックの塔❸がある。サンセールにはかっては24の塔があったが、短く切り詰められたり、外からは見られなくなっている。
ギアックの塔の横のポルト・セザール通りを進むとセザール門跡❶に出る。門は取り払われてなく、脇にサンセール城の入り口、向かいには観光案内所がある。
セザール門跡の外には展望台があり、周囲のパノラマだ楽しめる。
ポルト・セザール通りを戻ると、右手にスーヴェニア広場があるが、写真を撮るだけでそのまま真っ直ぐ進む。
旧マーケット広場の南西隅から繋がっているのがサン・ジャン通り❻。ノートルダム教会の場所にかってあったサン・ジャン教会に繋がっているところから名付けられた。有名な飲み食い処や多くの商店が並ぶ通り。水彩スケッチは広場から通りに入ったあたりを描いたもの。通りの終点にサン・ジャン広場があり、かってサン・ジャンの井戸があったが、1918年以降に埋め立てられた。この広場はかっては何世紀もの間、陶器市が開かれていたので陶器広場と呼ばれていた。広場は鐘楼広場に繋がっている。
駐車場に戻り、11時25分出発。A77、D976を経由してアプルモン・シュル・アリエに向かう。
アプルモン・シュル・アリエ
ロワール川の支流アリエ河畔にある小さな美しい村。かっては石切り工や流通を行う船頭の住む平和な村だった。ここで切り出された石はオルレアンの大聖堂などにも使用されている。アリエ川を行き交う船を管理するために城塞化されたアプルモン・シュル・アリエ城は、14世紀後半にアルマニャック家とブルゴーニュ家に分かれて勃発した市民戦争に巻き込まれて破壊された。その後15世紀に村の領主の館として建設されたのが現在のネオ・ゴシック様式の城。1894年に城の所有者と結婚した実業家が、城と村内の民家の修復に情熱を注いだ。その孫が1970年から英国式庭園の制作にとりかかったのが5ヘクタールに及ぶ有名な花の公園。
道路の両側に家屋が並ぶだけの小さな村で正面に城館が見える。村はどこも花が美しい。駐車場からすぐ左に教会がある。小さく簡素なもの。
先に進むと前庭のある大きな民家があり、その隣が観光案内所。残念ながら昼休み中で閉まっている。
その先にお目当ての花の公園の入り口があるが、昼休み中で14時ころまで開かないというので残念ながら見学を断念する。その先、城館の入り口の手前にあるレストランの建物もなかなか趣がある。城館入り口を入って左に馬車博物館がある。1752年に建てられたガラス製造所を19世紀前半に改装して建てられたかっての馬小屋で、現在は19世紀の馬車のコレクションの博物館となっている。
村はここで終わり。アリエ河畔に出ると、川岸は芝生が続いており、ピクニックを楽しむ人たちがいる。水彩スケッチはここの様子を描いたもの。川岸沿いに村の反対側まで行くと、村はずれに花に囲われた十字架が建っていた。
13時20分出発。D951経由でアイネ・ル・ヴィエール城へ向かう。
城館 アリエ河畔 河畔でのピクニック
アイネ・ル・ヴィエール城
13世紀に遡る八角形の要塞。本館はゴシック様式とルネッサンス様式の壮大なもの。城を取り巻く公園には有名な水の庭園がある。
門から入りまず庭園から回る。最初にあるのが詩人の庭④。その奥がバラ園⑤だがバラの花は終わりかけていた。
運河に架かる石橋を渡って正方形の庭に行く。中央に円形の広場のある通路を挟んで四つの高い生垣に囲われた庭がある。庭はただ草が生えているだけの広場で見る物なし。かっては花壇だったろうと思われる。
運河沿いに歩くと彫刻やプラスチック製の牛のモデルにアーチストたちがデザインしたCOW・COWが展示されている。COW・COWはかって丸の内でも展示されていたことがあり、懐かしい。
運河に架かる橋を渡ると隠遁所⑦。5つの庭からなる。各庭は高い塀で区切られており、アーチで連なっている。一番南側が花屋の庭⑧。いろいろな花が植えられている。
次が果樹園⑨だが、花も果実もない時期なので面白くない。その次が瞑想の庭⑩。その次は簡素な僧庵⑪と名付けられた庭。最後が刺繍の庭⑫。刈り込みで模様が描かれている。運河側の生垣の前には木製の飾り塀が設けられ、全体に華やかな雰囲気。
正方形の庭の中央通路を通って城館の方に行く。城館は城門の2本の塔と7本の塔が高い塀で繋がれて8角形をなし、濠に囲われている。
城門を入ると右手と左手に建物があり芝生の中庭を囲んでいる。後の行程を考えて城館内の見学はパス。
D2144、A71、A75、N88を経てマンドを目指す。
マンド
巡礼地ル・ピュイ・アン・ヴレとコンクの間に位置し、神聖な町として知られる。聖プリヴァの殉教地を訊ねる巡礼者たちによって発展を遂げた。14世紀、ローマ教皇ウルバニス5世の提唱で聖プリヴァの墓の上に現在の大聖堂が建立された。
マンドのホテル・フランセにチェックイン。夕食前に町を見て回る。
ホテル前のルシアン・アーノウル大通りからノートルダム橋通りを進むとノートルダム橋に着く。この辺りスレート葺きの屋根が多い。ノートルダム橋は歴史を経た古い橋。
川沿いの道を進むと次の橋のそばの対岸にキャンピングカー広場があり、その向こうに大聖堂の塔が見える。橋を渡って進み、ルシアン・アーノウル大通りを越えてシャテル通り、ノートルダム通りを進むと右手の小路の突き当りに大聖堂が見える。
大聖堂横の道を進むと右手に県庁舎がある。ルネッサンス様式の堂々たる建物。この先が大聖堂広場になっている。
大聖堂はロマネスク様式。脇に教皇ウルバニス5世像が立っている。大聖堂を出て横の広場に回るとお祭りのイヴェントが行われていた。
内陣裏の通りを進むとちょっとしたコーナーに大きな石の玉が水の上を回っているオブジェが置かれていた。なかなか面白い。道の突き当り、ルシアン・アーノウル大通りに面して映画館がある。石造の立派な建物に感心する。
ホテルに戻って夕食。亜矢さんの提案で、コースでなく、アラカルトで各自好きなものを何種類か取ってシェアする。突出しやパンなど石の板に乗って出て来たのは面白い趣向。料理はどれも美味しかった。