6.六日目(5月5日(水))、リンダウ、クラインヴァルザータール、オットーボイレン・ベネディクト会修道院、ランズベルク・アム・レヒ、ヴィース教会、シュパンガウ、フュッセン
リンダウ
リンダウはボーデン湖の東部に浮かぶ小さな島の町で、13世紀からの歴史を持つ古い町。イタリアとの交易で栄えた。30年戦争で猛威を振るったスウェーデン軍の攻撃にも耐えた城塞都市だったが、わずかしか残っていない。
朝食が8時からというので、二人より早く出てリンダウ港でスケッチ。港の入り口にある新灯台①とライオン像③を対岸のスイスの雪山をバックに描いた。明るくなるにつれて山がピンクに染まっていくのに感動した。
二人が出てきたので市街見物。まず鉄道駅(A)の前を通って19世紀建造の新灯台①へ。引き返してマンク塔②へ。カラフルな屋根が印象的なかっての灯台で、見張りにも使われていた。港の岸壁を通って進むと、ナポレオン戦争でリンダウがオーストリアからバイエルン王国に割譲されたのを記念して建てられたバイエルンのライオン像③に出る。鉄道駅とマンク塔の間に昨夜泊まったホテルが見える。
引き返してリング通りを進むとマルクト広場に出る。広場では朝市の準備中。左手に市立美術館⑬がある。元は1728年の大火災後に建て直された富裕な商人の館。その向かいに聖シュテファン教会⑪と聖母マリア教会⑫が並んで立っている。聖シュテファン教会は1180年建造で、その後何度も改築され、現在の姿は1506年改築のもの。聖母マリア教会は1728年の大火で焼失し再建されたもの。
市立美術館の横からクラマー小路を通り、町のメインストリートのマクシミリアン通りを進む。多くはないが木組みの建物も残っている。左手の小広場の奥に旧市庁舎⑥がある。1422年の建造で1576年に有名な階段と一緒にルネッサンス様式に改築された。壁画などもある装飾的な建物。広場を囲んで右手に新市庁舎がある。
わき道にそれて進むと聖ペーター教会に出る。11世紀建造のボーデン湖畔最古の教会。その先に泥棒塔⑭。かっての見張り塔で牢屋に使われていたのでこの名がある。かっての城塞都市の名残で城壁もわずかに残っている。
ホテルに戻り、朝食を済ませて出発。
リンダウが起点のアルペン街道を進む。草原の広がる丘陵地帯が続く。パラディース、大アルプ湖で車を止めて写真を撮る。
クラインヴァルザータール
アルペン街道からそれて南に向かい、ドイツ最南端の町オーバースドルフを過ぎてさらに進むと、クラインヴァルザータールと言う渓谷に入る。ここはスイスのオーバー・ヴァリス地方からの亡命者が13世紀に開拓し住み着いたところ。オーストリア領だが車ではドイツからしか入れない閉ざされた地方。スキーや保養地として人気がある。
11時、行き止まりのバートに到着。写真を撮り引き返す。
アルペン街道をこえてさらに北に進む。ニーダーワング付近で、一面にタンポポが咲いていてあまりの見事さに車を止めて写真を撮る。
オットーボイレン・ベネディクト会修道院
12時45分、オットーボイレンに着く。ボイレンとは集落くらいの意味。今もちいさな町だが修道院前の広場にはアートが置かれきれいな町だ。
修道院は764年創設。カール大帝の庇護の下、最初から著しい発展を見せた。完全にバロック様式に造り替えられたのは18世紀のことで、大建築家J.M.フィッシャーが1748年以降全体の仕上げを担当し彼の傑作の一つとした。
内装は漆喰に彩色したもので、一見大理石の柱や壁が、実は彩色されたもの。天井の廻り縁など漆喰で作られたものか描いて立体的に見せたものかちょっと見ただけでは区別がつかない見事な出来栄え。内陣入口の小祭壇のキリスト像は12世紀のもの。入口上と内陣左右に三つのオルガンで有名。
外に出ると教会から始まって赤い屋根の建物が連なり500mほどに及ぶ。脇の入り口から入ると回廊があり中庭に面している。外の壁の横に聖ミヒャエル像があり、壁に戦争で亡くなった人の名を刻んだ石板が4枚掲げられていた。13時50分出発。
ランツベルク・アム・レヒ
ランツベルク・アム・レヒはザルツブルクからメミンゲンを結ぶ非常に古くからある街道上で、中世、シュヴァーベンとバイエルンの境界の町の役割を果たした。そのため、通行税収入や交易で裕福になった。いくつかの塔と要塞のような城門、町全体を取り巻く城壁など中世の雰囲気を保っている。
14時50分駐車場に着く。まずレヒ河畔の公園の中のムッター(母)塔へ行く。英国の芸術家が死去した母を偲んで19世紀に建設したもの。色鮮やかな屋根が目に着く。塔の横にアトリエがある。河畔に出ると有名なレヒヴェーアが見える。急流だったのを緩やかにするために設けられた河川階段。
カロリーネ橋を渡ってしばらく行くと左手に音楽学校がある。そのまま進み修道院教会(18世紀建造)の前を過ぎると三角形のマルクト広場に出る。この広場は明るい色に彩られた家々に囲まれている。中央に聖母マリアの泉があり、大理石の水盤の上に聖母の彫像が立っている。一番高い三角形の頂点に建つのは「美しい塔}と呼ばれるシュマルツ(脂肪)門(14世紀建造)。ここで動物の脂肪が売られていたのでこの名がある。かってはここが境界線で城壁がつながっていたが、市域の拡大によって城門の役割はなくなった。
これに向かい合う形で市庁舎が建っている。建てられたのは1688~1702年にかけてだが、正面は1720年にD.ツィンマーマンによって製作された。彼はヴェッソブルン派最大の芸術家であり、ヴィース教会をたてた人。彼はこの町の市長でもあった。優雅な市庁舎の切妻には精巧なスタッコ装飾が施されている。
シュマルツ門を出てアルテ・ベルク通りを進むとバイエルン門に出る。小塔と彫刻に飾られ、前に張り出したポーチを持つきれいな市門で1425年の建造。ここから引き返して16時5分出発。
レヒ川沿いに南に進みヴィース教会を目指す。途中、ロッテンブーフのそばを通り写真を撮る。
ヴィース教会
ヨーロッパで最も美しいロココ様式の教会と讃えられる世界遺産。
1738年、ある農家の夫人がシュタインガーデン修道院の修道士が彫って放置されていた「鞭打たれるキリスト」の木像をもらい受けたところ、6月14日にこの像が涙を流したという。教会はこれを奇跡と認定しなかったが、この噂が「ヴィースの涙の奇跡」として広まり、巡礼者が農家に集まるようになった。1740年には牧草地の小さな礼拝堂に移したが、巡礼者は増える一方だった。そこでシュタインガーデン修道院が先頭に立ち、一般から浄財を募るなどして建設資金を捻出して1746年から建設されたのがこの教会。1754年に献堂式が行われ。1757年に完成した。
教会はのどかな牧草地の中に建っている。アプローチの途中に当初木像が安置されていた小さな礼拝堂があり、大勢の人がお祈りしていた。
教会の建築家はD.ツィンマーマンで先に見たランツベルク・アム・レヒの市庁舎のファサードの設計者。外観は質素だが内部は華麗な装飾と色彩に包まれている。下の部分は、故意に装飾を少なくして、地上の世界を象徴している。これに対して天上を象徴する上の部分は、絵画やスタッコ装飾の他、装飾的要素が豊富。巨大な丸天井のフレスコ画はキリストの再来、最後の審判を下す者がまだ着席していない玉座などを描いており、「天から降ってきた」と讃えられている。
身廊は楕円形で入り口、内陣よりスパンを長くとっており、それが外観にも表れている。内陣主祭壇の大理石模様は漆喰に彩色したもの。「奇跡の木像」が安置されている。オルガンと説教壇は、装飾の豊かさと繊細さで、南部ドイツにおけるロココ様式芸術の絶頂期を示すものとされる。
17時42分出発。
南西のシュパンガウに向かう。途中レヒ川沿いに湖が連なっており、ヘグラーツリーデル湖、イラスブルク湖、フォルゲン湖に寄って写真を撮る。どこからもノイシュヴァンシュタイン城がかすかに見える。イラスブルク湖は水が少なくなっていた。湖に近づこうとして道に迷い、サイクリングロードに入りかけたら、通り合せたサイクリングの人が間違っているので正しい道を教えてくれて助かった。
シュヴァンガウ
シュヴァンガウは「白鳥の里」。ワグナーの「ローエングリーン」で有名な白鳥伝説ゆかりの地。
ノイシュヴァンシュタイン城の絶好のヴューポイントといわれるコロマン教会に着く。草原の中にぽつんと建っている。目の前にノイシュヴァンシュタイン城が見える。ルードヴィッヒ2世が幼少期を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城も少し西に離れて見える。
フュッセン郊外にあるヴィタール・ホテル・ゾンマー泊。夕食はビュッフェスタイルだった。
(つづく)