9.九日目(9月26日(土))、ヴェズレー、オーセール、クーランス城、ヴォー・ル・ヴィコント城
8時25分出発。快晴だったが、しばらく行くと霧が出て、霧の上にかすかに見える城などなかなか幻想的。
ヴェズレー
スペインへと続く巡礼路の起点の町として知られる。世界遺産。「フランスの最も美しい村」認定。12世紀以降のロマネスク様式やルネッサンス様式の民家が数多く残されている。ロマン・ロランなどの芸術家が住んでいた村でもある。
村の近くまで来たら、サント・マドレーヌ大聖堂と村のある聖なる丘は霧の中に浮かび上がりなかなかの眺め。
9時ヴェズレーの駐車場に着く。村の入り口から入り、古い造りの家が並ぶ趣のある道を進むと二つの分岐点に出るが、いずれも真っ直ぐの方のサンピエール通りを進む。
やがて左側にボロ広場とサン・ピエール鐘楼がある。そのまま真っ直ぐ進むとサント・マドレーヌ大聖堂の正面に出る。
サント・マドレーヌ大聖堂は12~15世紀の建築。ファサードの彫刻はロマネスク様式の傑作と謳われている。9世紀にマグダラのマリア(サント・マドレーヌ)の聖遺物が持ち帰られたことにより、この地に巡礼者が押し寄せ始め、村は大きく発展を遂げた。その後本物の聖遺骨は南仏にあるという説が有力になり、凋落の途を辿ったが、19世紀になってその歴史的価値が認められて修復された。身廊は2色の石が組み合わされたアーチが続き、柱頭の彫刻も興味深い。木の彫像が何体も飾られていた。
大聖堂の奥のテラスからはモルヴァン自然公園の豊かな自然が見渡せるが、丁度霧がかかっていて、霧の切れ目からの眺めもまた趣があった。
帰りは脇のエコール通りをたどる。道をまたいで家が建っていたりなかなか面白い。水彩スケッチはそうした町並みを描いた。
次のオーセールへ向かう途中振り返った村はこじんまりと少し霞んで見えた。フランスの超高速鉄道TGVに出会い写真に収める。
オーセール
ヨンヌ河畔の古都。サン・テティエンヌ大聖堂とサン・ジェルマン修道院が特に知られている。木組みの古い建物が建ち並ぶ町並みが魅力的。
11時45分駐車場に着く。すぐ近くのポール・ベール橋からの眺めが素晴らしい。川向こうの左にサン・テティエンヌ大聖堂、右にサン・ジェルマン修道院が聳えている。パステル画、水彩スケッチはこの風景を描いたもの。
橋を渡り川沿いに進む。少し中に入ると木組みの町並みが続く。道には観光ルートを示すカデ・ルセルのマークが埋め込まれている。そのうち町並みの奥にサン・ジェルマン修道院が見えてくる。
サン・ジェルマン修道院の教会の創建は6世紀に遡るという古いもの。その後、ベネディクト派の修道院となった。クリプト(地下祭室)にある「聖エティエンヌの殉教」を描いた858年のフレスコ画はフランスにおける最古のキリスト教フレスコ画とされているがパスした。付属のサン・ジェルマン博物館があるがこちらもパスした。
南に向かって引き返すとサン・テティエンヌ大聖堂の北面に出る。サン・テティエンヌ大聖堂はキリスト教最初の殉教者サン・テティエンヌに奉献されている。11世紀建造のロマネスク様式の聖堂が1215に壊れ、13~16世紀にゴシック様式で再建された。1023~1035年のクリプトの天井には「馬に乗ったキリスト」のフレスコ画があるが見なかった。回廊は14~15世紀建造、内陣は13世紀初めの建造。
大聖堂から南西に進むとコルドリエ広場に出る。その一つ南の道が賑やかな商店街で道端に詩人マリー・ノエルの像が建っていた。この道を西に進むと立派な時計塔がある。15世紀建造で、はじめは監獄として使われていたとのこと。大時計は500年以上もの間、時を刻み続けて来た。水彩スケッチはこれを描いたもの
時計塔を潜って先に進むとシャルル・シュリュグ広場に出る。広場にはカデ・ルセルの像が立っている。「末っ子ルセル」と子供たちに歌われている古くからある歌の主人公。先に述べたように道案内の標識にもなっている。
尿意を催したが公衆トイレが見当たらないのでデパートのような大きな店に入ってトイレを貸してもらえないか頼んでみたら、川岸の公園に公衆トイレがあるとのこと。急いで公園へ行く。公衆トイレは有料だが、ここのトイレはコインを入れると扉が開く仕掛けだった。ヨーロッパ旅行で困るのはトイレ。公衆トイレが少なく見つけるのが大変なうえ、有料なので小銭の用意が欠かせない。おまけに汚いと来ている。
駐車場に戻り13時40分出発。国道A4で一路パリ周辺のイール・ド・フランスへ向かう。
クーランス城
沢山の水路と緑豊かなフランスでも屈指と言われる庭園のある城。現在も貴族の一族が暮らす。庭園は16~17世紀初頭にデザインされた、古典的かつロマン派的な庭。14の泉、17の池がある水の庭。
15時駐車場に着く。入り口から16世紀終わりに遡る「名誉の並木道」①と呼ばれる道が伸びている。両側に運河と1782年に植えられたプラタナスの並木がある。このレイアウトはルネッサンスの水の庭の典型的なもの。「名誉の並木道」は1628年に建築された城館②の正面入り口に通じている。
ここで左折して進み縮絨工場の運河③の手前で右折すると左手に水浴像⑤のある池の前に出る。ここから右折して進むと城館の本館南西面に出る。このあたりの水面は段差があり、上から下へと流れるが、怪魚の頭をかたどった吐水口などなかなか凝っている。
濠に城館が映って美しい。城館の南西面から南西に伸びる軸線上の「鏡」⑥と呼ばれる池は2エイカーあり、この公園で唯一の18世紀の要素。「鏡」の先に「イルカの池」⑧がある。水彩スケッチはこの池越しに城館を見たところを描いた。
「イルカの池」の横から北西に三段の水面が伸びている。これに沿って進むと大運河に出る。全長600mという長大なもの。ここで右折して進むと10稜の池⑦がある。フランスで唯一の物。水面を水草が覆っている。ここから東に進むと城館南西面に出るので、来た道を戻って縮絨工場の運河に沿って進むと元縮絨工場があり、その向かいに日本庭園がある。
駐車場へ戻り、16時11分出発。
ヴォー・ル・ヴィコント城
17世紀のバロック様式の城。ルイ14世の大蔵卿ニコラ・フーケによって建てられた。この城の成功はルイ14世の不興を買い、フーケは没落。建設に当たった建築家などの芸術家はそのままルイ14世によってヴェルサイユ宮殿の建設に従事させられた。ヴェルサイユ宮殿のもととなったと言われる所以である。庭園はフランス・バロック庭園の初期の傑作でその完成度と美しさでヴェルサイユ宮殿を凌ぐと言われる。
大木の連なる並木道を通って16時50分駐車場に着く。広い前庭を通り入り口①から入る。こちら西側の建物群には売店、レストラン、博物館などがある。付属建物群と城館の間の庭に出ると東側の建物群、城館が見える。
城館は堀に囲まれている。城館に入り順路に従って進む。方形大寝室はフーケの私室。ミューズの間、大広間、図書室など壁や天井は装飾で埋め尽くされている。
王の寝室は王を迎えるための物。ビュッフェの間は大食堂で、王を迎えて大祝宴を催した。あまりの豪華さに王の不興を買いフーケの破滅を導いたとされる。
王の派遣したダルタニアン率いる銃士隊に逮捕される場面が展示されている。豪華な食事を提供した大きな台所がある。
城館の南テラスに出ると広大な庭園が広がる。南テラスから大階段を下って庭園に出る。振り返ると城館の堂々とした南面が見える。両側はトルコ絨毯模様の花壇(C)が広がり、正面の十字路の交点に丸池(A)がある。この東西には運河が伸びている。さらに進むと4000㎡の大水鏡(I)に到る。大水鏡の向こうには洞窟が見える。
大水鏡の先はテラスになっていてその南側の擁壁にはカスケード(M)が仕組まれている。
その先には1000m超の小鍋運河(K)が東西に延びる。小鍋運河はカスケードと南側の洞窟(L)の間で広げられ水鏡をなしている。
洞窟の脇から上へ上がると噴霧水盤(N)があり、さらに南に向けて広い芝生が伸びている。芝生の中央には巨大なヘラクレス像(O)が建っている。噴霧水盤越しに城館の方を振り返ると広大な庭園が一望に見渡せる。水彩スケッチはこれを描いた。
広大な庭園の主な部分を一回りするのに足が棒のようになる。20時~23時のキャンドルライトツアーはパス。
駐車場に戻り、19時15分出発。駐車場を出るとき両側の大きな木が邪魔になって左右が良く見えず、危うく衝突しそうになりヒヤリとする。
ル・ロシェットのホテル・ル・グランド・モナーク、ムランにチェックイン。ホテルの食堂で夕食を摂る。
(つづく)