七日目(9月24日(木))、コルマタン城、ベルゼ・ル・シャテル城、ロシュポ城、ボーヌ
朝起きたら相変わらずの濃霧。朝食を済ませ、ホテルの写真を撮ってから9時20分出発。一路ブルゴーニュへ。
コルマタン城
1280年建造の城塞の跡地に1605年に建てられた。濠に囲まれた美しい古城で庭園も知られる。
10時50分到着。城館内部はガイドツアーで見学できる。ガイドの説明が長々と続き、時間が無くなるのでやきもきする。内装は木造だが主要な部屋の壁や天井の装飾はいずれも木に直接描かれておりすごい。
城館内部の見学が終わって、庭園、城館外部、農園などを見て回る。城館を囲む濠はかなり広く建物が映える水彩スケッチはこれを描いた。
庭園のパビリオンは展望台になっていてドームは金物細工の透け透け。眼下に迷路が見下ろせる。農園も立派なもの。12時40分出発。
ベルゼ・ル・シャテル城
人口70人ほどの小さな村の丘の上に建つ封建領主の古城。14本の塔がある。そのうち13本が13世紀、1本が11世紀の物。10世紀末にこの地に要塞のある礼拝堂があったことが確認されている。これがベルゼ城の起源とされている。
外から写真を撮るだけで次に進む。ブルゴーニュは有名なワインの産地。沿道は一面の葡萄畑で丁度摘み取り作業をしていた。
ロシュポ城
ブルゴーニュ流の模様屋根が美しい13世紀頃のネオ・ゴシック・ブルゴーニュ様式の城塞。フランス革命で焼かれてしまったが、1893年に再建された。
跳ね橋のある城門は二重になっていて内側の城門には脇扉にも跳ね橋がついていて面白い。中庭を囲んで種々の建物が建っていて結構複雑。中庭には1228年に造られた深さ72mの井戸がある。岩盤を突き抜けて掘ったというもので、これによって城の防御性能は格段に向上したという。
ボーヌ
コート・ドール(黄金の丘)と呼ばれる、延々と葡萄畑の続く丘陵地帯にある赤ワインの名産地。ボーヌを有名にしているのは15世紀に建てられた病院オテル・デュー。
コート・ドールの葡萄畑を見た後、ボーヌ旧市街の外にある駐車場に17時10分に着く。旧市街に入るとすぐにオテル・デュー前のフロイリー広場に着く。
まずはオテル・デューを見学。1443年貧しい人々の病院として建てられた。ゴシック・ブルゴーニュ様式のあでやかな屋根を持つ建物。見学順路に従いまず「名誉の中庭」に出る。ここが最大の見どころで水彩スケッチはこれを描いた。
建物に戻り「貧しき者の広間」に入る。オテル・デューの中心的存在で1452年にできた。その隣に「貧しき者の広間」の一部としてチャペルがある。オテル・デューが宗教と医療の共存する場であったことを示している。
「聖ユーグの部屋」は1645年ユーグ・ベトーの提唱により造られたもの。「聖ニコラの部屋」は瀕死の病人用として重病人を軽い病人から隔離するために使われていた。
厨房は1985年まで新しい設備を備えて、養老院で暮らす人のための食事が作られていた。その隣が薬局で、中世では各病院が薬局を院内に設けて対処していた。
「聖ルイの部屋」は1661年にルイ・ベトーによって造られたもので棟の先端に竈があり、オテル・デューの玄関に集まって来る貧しい者たちへ毎日配るパンを焼いていた。この部屋の奥にある衝立画が有名なものでかってはチャペルに収められていた。
オテル・デューを出て旧市街を歩く。フロイリー広場からメインの道はワインの店が並んでいる。入った店に日本人の売り子がおり、日本の宅配業者が入っていた。日本人観光客がよく利用するのだろう。土産にワイン6本買う。時間もないので町を駆け足で回り、ノートルダム教会に寄っただけで引き上げる。ノートルダム教会の最初の建物は1000年ごろに建てられたとのこと。
19時40分カステル・ド・トレ・ジラール、モレイ・サン・ドニにチェックイン。葡萄畑の真ん中に建つホテル。20時15分~22時、ホテルの食堂で夕食。日本人のウエートレスがいて日本語で料理の説明を聞けて助かる。地元産の白ワインは美味しかったが、後で部屋にあったワインリストで調べてみたら48€したのが店で買うと17.5€とのこと。日本のレストランで注文するワインは店で買うのの3倍というのは通り相場だが、まさにその通りだった。
(つづく)