旅の絵日記:2008年ドイツ 12

12.十二日目(5月13日(火))、ハーテンシュタイン、ヴェーゼンシュタイン城、グロースセドリッツ・バロック庭園、ケーニヒシュタイン要塞、バスタイ、シュトルペン城、ピルニッツ宮殿

十二日目旅程:ハーテンシュタイン→ヴェーゼンシュタイン城→グロースセドリッツ・バロック庭園→ケーニヒシュタイン要塞→バスタイ→シュトルペン城→ピルニッツ宮殿→ドレスデン近郊

ハーテンシュタイン

 朝起きてホテルの写真を撮る。大きな公園内にあるアールヌーボウ様式の大邸宅を利用したもの。まだ時間があるのでスケッチを始めたら、朝食は7時30分からだというのですぐに切り上げる。ビュッフェだということが分からず馬鹿待ち30分。貴重な時間をロスした。

ホテル玄関側           「ハーテンシュタイン、ホテル・シュロス・ヴォルフスブルン」 F0 水彩

ヴェーゼンシュタイン城

 10時到着。ドレスデン中心部から東南15km、白い岩山の上に建つ。城の名は「白い岩」に由来する。

 神聖ローマ帝国成立当時、ボヘミヤへの対抗上重要拠点の一つで、要衝の地に建つ。最初は1200年頃に建てられた。所有者が変わりながら次第に現在の姿に整えられて来た。皇太子時代からロマンティックな城を所有することを夢見ていたザクセン王アントンが1830年に買収しヴェッティン家の所有となった。

 城は博物館となっているが、時間がないので無料の庭園だけを見る。城はザクセン王の宮廷が置かれていただけのことはあり堂々としたもの。庭園はこの前の洪水で壊滅したが、やっとほぼ修復されたばかりのようだ。

城門                       庭園                 外から見た城館
「ヴェーゼンシュタイン城と庭園」 F0 水彩                          見取り図

グロースセドリッツ・バロック庭園

 11時到着。壮大なバロック庭園。1719年、ザクセン王国の大臣によって庭園と建物の建設開始。1723年、アウグスト強王に譲渡された。憧れの南の国のオレンジを育てるためのオランジェリーが2か所ある。

配置図               ボウリンググリーン    エスプラナーデ、正面は下のオランジェリー
エスプラナーデ(散歩場)         左:フレデリック館            上のオランジェリー
上のオランジェリー内部      氷盤と森のカスケード     エスプラナーデから真っ直ぐな道が伸びる

ケーニヒシュタイン要塞

 ザクセン・スイスの砂岩で出来た台形の山上にそびえる大規模な要塞。1248年にはボヘミヤ(チェコ)王の城砦が建てられていた。15世紀にはザクセンの手に渡り、東方(ボヘミヤ)からの侵入を防ぐための強固な要塞として完成されていった。6年の歳月をかけてノミとハンマーだけで152.5mまで掘り下げた井戸があり、これによって要塞の利用価値と重要性が飛躍的に高まった。

 駐車場からシャトルバスで登ると高い城壁の下に着く。城門を入って郭内を進むとメドウサ門に出る。正面にはザクセン選帝侯の紋章が、裏側にはメドウサ(髪は無数の蛇で、見た者は恐怖のあまり石になるというギリシャ神話の怪物)の頭がある。この門の先が要塞への入り口で暗く長い坂道を上ると要塞内に出る。要塞は広大で城館はじめ数々の建物が並んでいる。城壁に達すると大きく蛇行するエルベ川の景観が素晴らしい。

ケーニヒシュタイン要塞の城壁          城門と城館                 メドウサ門

 城壁から張り出すような形でフリードリヒスブルクと呼ばれる八角形の建物が建っている。1589年に見張り塔として建設されたが、エルベ渓谷の眺めが素晴らしいので、小規模な宴もできるように造られ、その後アウグスト強王がバロック様式に改造した。

要塞への入り口からの坂道     フリードリヒスブルク      断崖絶壁の城壁とフリードリヒスブル
「ケーニヒシュタイン要塞、城壁からのエルベ渓谷の眺め」 F0 水彩

バスタイ

 1億年以上前、海面下にあったが長い期間をかけて隆起と浸食を繰り返し、エルベ川によって作り出されたエルベ砂岩山地がザクセン・スイス国立公園になっている。その中でバスタイは奇観をなす岩峰群。

 15時20分到着。入り口にバスタイ橋があり、展望台ともなっている。岩峰を連ねる橋が架けられ、いろいろの角度からの眺望を楽しむことができる。13世紀にはザクセンの前哨基地ノイエ・フェルゼンブルクがあったとのこと。

乗合馬車                  バスタイ岩峰群                  エルベ川
バスタイ橋                                  「バスタイ橋」 F0 水彩
ノイエ・フェルゼンブルクの遺跡      モンクス・ピーク       ノイエ・フェルゼンブルクの模型

シュトルペン城

 ドレスデンの東20kmのシュトルペン村にある。アウグスト強王の寵愛を受け権勢をほしいままにしたコーゼル伯夫人が33才にして幽閉されたことで有名。

 16時50分到着。シュトルペン村の門を潜り、進むとマルクト広場に出る。その先に城が見える。

 城の入り口は博物館になっていて中世の甲冑などが展示されている。

シュトルペン村入口            マルクト広場、奥は城                  城門

 門を入って進むと円形ドームの建物と二つの塔が見えて来て入り口がある。二つの塔は税金の塔とヨハネの塔(1509年造)で、税金の塔は税徴収官などが働いていた。ヨハネの塔はコーゼル伯爵夫人が幽閉されていた塔で、後にコーゼルの塔と呼ばれた。時計塔は16世紀頃には鐘を打ち鳴らし時を知らせていた。

 城からは村と田園風景が眺められ、菜の花畑が鮮やかだった。

 17時50分出発。

丸ドームと二つの塔          左:税金の塔、右:ヨハネの塔      シュトルペン村と田園風景
「シュトルペン城」 F0 水彩                             菜の花畑が鮮やか

ピルニッツ宮殿

 ドレスデン東方7kmにある。15世紀初めに地方の領主が館を建て、所有者が変わりながら1616年には4棟からなる本格的な城となった。

 アウグスト強王はこの城を1706年、側室のコーゼル伯爵夫人に与えた。当時はルネッサンス風。

 コーゼル伯爵夫人が追放された後、アウグスト強王は1720年、城の大幅な増築に着手、大庭園の拡張も行われた。1720~21年に建設された「水の宮殿」と1722~23年建設の「山の宮殿」はバロック様式で東洋趣味が加味されており、現在は美術工芸博物館となっている。当時のルネッサンス様式の宮殿が1818年の火災で焼失した後、1819~26年に建設された新宮殿は新古典主義の建築で現在は宮殿博物館となっている。

 庭園は2002年5月の洪水で大きな被害を受け、ようやく修復されたところだった。

 駐車場から新宮殿に向かう。新宮殿はコの字形をしており、中庭を見た後3つの宮殿に囲まれた「歓喜の庭」に出る。中央に円形の池を配した整形の庭園で、エルベ川沿いに「水の宮殿」、それに向き合って「山の宮殿」がある。

配置図                    新宮殿中庭               新宮殿と歓喜の庭
山の宮殿と歓喜の庭             水の宮殿               水の宮殿、エルベ川

 時間が遅いので宮殿には入らずエルベ川に出るとボートが通り過ぎて行った。歓喜の庭からは軸線を合わせて並木道が伸び、その両側に刈り込んだ樹木の壁に囲まれた庭がいくつも続く。丁度石楠花が満開だった。ザクセン王が川遊びに使用したゴンドラも展示されていた。

「ピルニッツ宮殿」 F0 水彩                          エルベ川をボートが行く
歓喜の庭から続く並木道           石楠花が花盛り              川遊びのゴンドラ

 ドレスデン郊外のロマンティックホテル&レストラン・パティス泊。部屋にウエルカムドリンクのワインが1本用意されていた。ホテルのフレンチレストランで夕食。美味しかったが値も高かった。

食堂で              突出し?           前菜                前菜
前菜             肉料理                       魚料理            デザート

 

(つづく)