旅の絵日記:2008年ドイツ 13

13.十三日目(5月14日(水))、ドレスデン、モーリッツブルク城、ポツダム

十三日目旅程:ドレスデン→モーリッツブルク城→ポツダム

ドレスデン

 かって「百塔の都」とうたわれたドレスデンは、中世にはエルベ川の水路を利用した商業都市として発展し、16世紀以降はザクセン王国の首都として繁栄した。バロック様式の壮麗な宮殿や教会、貴族の館が建ち並んだ町は第二次世界大戦終戦間際に一夜にして破壊された。

 しかし、音楽の殿堂ゼンパーオペラは1985年に再建。がれきの山のままだったフラウエン教会も東西ドイツ統一後再建作業が始まり、2005年に完成。「芸術と文化の都」の姿が蘇った。歴史ある街の姿を再現しようとする人々の意気に頭が下がる。

 駐車場を出ると劇場広場で北側正面にゼンパーオペラが建つ。設計者に因んでゼンパーオペラと呼ばれる。1838年~41年建設。初期ルネッサンス様式、バロック様式など様々な時代の特徴を取り入れた折衷様式。初代音楽監督はウエーバー、二代目はワグナーでヨーロッパ屈指のオペラハウス。広場にはこの劇場の建設を命じたザクセン王ヨハンの騎馬像が立つ。

ドレスデン中心部       ツヴィンガー宮殿、アルテ・マイスター絵画館        ゼンパーオペラ

 劇場広場の西面にはゼンパーの設計で1855年にイタリアルネッサンス様式で増築されたツヴィンガー宮殿の東翼がある。現在はアルテ・マイスター絵画館となっている。

 南側にはオペラ劇場と向かい合ってレジデンツ宮殿、三位一体大聖堂がある。大聖堂は18世紀に宮廷教会として建てられたバロック建築で、屋根の欄干に78体の聖人像が並ぶ。

三位一体大聖堂                「ドレスデンレジデンツ宮殿と三位一体大聖堂」 F0 水彩

 エルベ川沿いに大聖堂の横を過ぎると宮殿広場でレジデンツ宮殿と大聖堂の並ぶ姿が美しい。レジデンツ宮殿は14世紀には記録が残っており、1701年の火災で荒廃したがアウグスト王のもとで再建された。第二次世界大戦で焼失し、博物館として再建が始まったのは2006年、まだ建設が続いていた。

 宮殿広場の先からエルベ川に架かるアウグストウス橋を渡ると新市街だが、そちらへは向かわずエルベ川沿いに進む。川岸に一段高くなったブリュールのテラスと言う美しいプロムナードがある。その下に下ると遊覧船の乗り場がある。アウグストウス橋を背景に遊覧船を描いた。

ブリュールのテラス   「ドレスデンエルベ川とアウグストウス橋」 F 水彩

 エルベ川の対岸にはザクセン州の大蔵省と首相府の立派な建物が見える。

 ブリュースのテラスに沿って建つ立派な建物は美術アカデミーで2棟の大きな建物とそれをつなぐ部分からなっている。ここでテラスの先は三角形の緑地が広がる。緑地に沿って斜め右に進むとフラウエン教会へ続く道を挟んでアルベルティーヌムが建っている。

エルベ川、対岸にザクセン州大蔵省と首相府   美術アカデミー       美術アカデミー、つなぎの部分

 アルベルティーヌムは16世紀建造の武器庫を前身とするルネッサンス様式の建物で、内部は彫刻展示室、ノイエ・マイスター絵画館になっている。

美術アカデミー        左:アルベルティーヌム、中央:フラウエン教会     アルベルティーヌム

 緑地を巻くように左に曲がり、エルベ川に向かうと右手に新ユダヤ教会堂がある。これはさすがに新しいスタイルの建物だった。

 カロラ橋からの旧市街の眺めは素晴らしかった。丁度この眺めを背景にモデルを使って撮影中のチームがおり、反射板などプロはさすがに道具立てがすごい。

ユダヤ教会堂                    「ドレスデンエルベ川と旧市街中心部」 F0 水彩

 引き返してアルベルティーヌムの横を通ってフラウエン教会に出る。1743年に完成したプロテスタント教会バロック建築の傑作とされる。大空襲で崩壊、戦後は廃墟のままだったが、1990年の東西ドイツ統一が再建のきっかけとなった。1994年に礎石が置かれ、出来る限り元の建築部材を使う方針で、元の石材を45%使っている。2005年10月30日に昔の姿が蘇った。黒く焼けた部分がちりばめられ独特の風貌を備えている。教会前の広場にはマルティン・ルター像が置かれている。

フラウエン教会              壁画「君主の行列」           中央がアウグスト強王

 教会の建つ新マルクト広場からレジデンツ宮殿の方へ進むとマイセン焼タイルの長大な壁画が現れる。長さ101mの「君主の行列」だ。1123~1904年までのザクセン君主の騎馬像や時代を飾った芸術家ら総勢93名が描かれている。約20cm四方のタイル約25000枚を使用しており、戦災を奇跡的に免れた物。レジデンツ宮殿に連なる欧州最古の武芸競技場だったシュタルホーフは中世オリジナルで再建されたが、その外壁を飾っている。

 壁画を眺めながら進むと宮殿広場に出る。レジデンツ宮殿と三位一体大聖堂をつなぐ凝った作りの渡り廊下の下を潜って劇場広場に出、左手に少し進めばツヴィンガー宮殿の南翼の入り口。

レジデンツ宮殿と三位一体大聖堂をつなぐ渡り廊下   レジデンツ宮殿       ツヴィンガー宮殿、北翼

 ツヴィンガー宮殿はアウグスト強王が庭を囲む3棟を建設させ1728年に完成した。建築家ベッペルマンによるドイツバロック建築の最高傑作とされる。北の翼には数学物理学博物館、南翼にはアウグスト大公が集めた18~19世紀の中国や日本の陶磁器をはじめ、マイセンで作られた数々の歴史的名品が展示されている陶磁器コレクションがある。

ツヴィンガー宮殿、西翼       王冠の門(ツヴィンガー宮殿西翼)      ツヴィンガー宮殿、南翼

 後から増築された、劇場広場に面した東翼のアルテ・マイスター絵画館に入る。ラファエロの「システィーナのマドンナ」をはじめフェルメールなどのヨーロッパ古典絵画の名品を所蔵しているが、壁面一杯に作品が並べられていていささか疲れる。どこに何が展示されているのかもよく分からない状態で短時間ではとても見て回れない。

 美也子がフイルムの巻き戻し完了を確認せずにカメラの裏蓋を開け、露光してしまった可能性大なので、もう一度撮り直しに回る。大変な時間ロス。

モーリッツブルク城

 12時45分着。ドレスデンの北西約14kmの野生の鹿や猪も生息する自然保護区に建つ。もともとは1646年ザクセン公モーリッツによって狩猟の館として建てられた。1723~33年アウグスト強王によってバロック様式の狩猟館兼離宮として改築された。現在はバロック博物館となっている。

 モーリッツブルク城の周辺には大小多数の湖があり、湖に浮かんだような姿が美しい。

モーリッツブルク城へのアプローチ                「モーリッツブルク城、庭園」 F0 水彩
木の彫刻                    石の彫刻       モーリッツブルク雉城のカスケード

モーリッツブルク雉城

 1728年にモーリッツブルク城から東に延びる軸線上に狩猟用の雉の飼育所が建てられた。1770年から飼育所が建っていた場所に新たに夏用の小さな城の建設が始まった。ロココ様式だが、当時欧州で大流行した中国趣味の影響が色濃く見受けられる。当時は「Der Japan」と名付けられていた。2007年に全面改修が行われた。

モーリッツブルク雉城の灯台                     「モーリッツブルク雉城」 F0 水彩

 そばの湖には弓なりに張り出した突堤の先端に灯台が建っている。1770年の建造で上部には中国趣味が用いられている。庭園にはカスケードがあるが草が生い茂っていてカスケードとは見えない。

 湖畔で持参の昼食を摂る。15時出発。ポツダムに向けてひたすらアウトバーを走る。

ポツダム

 17時ツェツィーリエンホーフ宮殿に着く。ハイリガー湖に面して広がる新庭園内に建っている。1913~17年建設の英国風館の趣の宮殿で世界遺産。ホーエンツォレルン家の最後の皇太子ヴィルヘルムが家族と共に住んでいた。皇太子妃ツェツィーリアに因んで名づけられた。1945年第二次世界大戦末期に開かれた米、英、ソ連の首脳によるポツダム会議の場として知られる。湖では大勢の人が泳いでいて寒くないのかと驚く。18時出発。

ポツダムの地図    ツェツィーリエンホーフ宮殿アプローチ    ツェツィーリエンホーフ宮殿玄関ポーチ
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」 F0 水彩                         ハイリガー湖

 アウトバーンでガソリンを入れようとして値段が高いので止めたはよいが、ガソリンスタンドが見つからず、ガス欠寸前。ホテルのフロントで近くのガソリンスタンドを教えてもらって危うくセーフ。

 ホテル・アム・ルイセンプラッツにチェックイン。夕食前に目抜き通りのブランデンブルク通りを歩き買い物。ほとんどの店が閉まっていて閑散としている。ホテルで夕食。

ルイセン広場とブランデンブルク門     ブランデンブルク通り          ブランデンブルク通り
前菜              スープ            魚料理              肉料理


(つづく)