旅の絵日記:2008年ドイツ 15

15.十五日目(5月16日(金))、クヴェリントブルク、ヴェルニゲローデ、ゴスラー

十五日目旅程:クヴェリントブルク→ヴェルニゲローデ→ゴスラー→

クヴェリントブルク

 ハルツ山地の東北、ボーデ川のほとりに位置する1000年の古都。ドイツ初代王、ハインリヒ1世が創設したザクセン王家の重要拠点として「ドイツ発祥の地」と呼ばれる。旧市街には1300ものあらゆる建築様式と時代の木組みの建築が残されていて、町全体が木組みの家の博物館と言える。交易で栄えた中世以来の姿を保ち世界遺産

クヴェリントブルク中心部            ホテル                      朝食

 泊まったホテル・クヴェリントブルク・シュタットシュロスは元貴族の館を利用したもので格調があってよかった。朝食を済ませ出発。城山の近くに駐車。木組みの家並みを進むと城山前の広場に出る。城山の見学は後回しにしてマルクト広場を目指す。

木組みの町並み                城山前の広場                    城山

 木組みの町並みが続く細い道は所々で枝分かれし、面白い景観を作り出す。民家の壁に小鳥の並んだ小枝の装飾があったりして見ていて楽しい。

「クヴェリントブルク、町並みと城」 F0 水彩                      民家の壁の装飾

 ほどなくマルクト広場に着く。正面奥に蔦に覆われた市庁舎がある。市庁舎が文献に登場するのは1310年で、その後1616~19年にかけてルネッサンス様式の正面入り口と紋章部が造られ、1899~1901年にかけて増改築が行われた。市庁舎の左端に自由と平和の象徴、ローラント像がある。現在のものは1869年に再建されたもの。市庁舎の右脇にはローラント像の看板を掲げたレストラン「ツム・ローラント」がある。

マルクト広場              マルクト広場と市庁舎         市庁舎左端のローラント像
ローラント像の看板               広場の彫刻                  城山入口

 城山へ引き返す。城山の広場で学生が大勢スケッチしていた。城はドイツ初代の王ハインリヒ1世の居城の一つとして919年に建設された。王の死後女子修道院となった。修道院付属の聖セルヴァティウス教会は9世紀初頭の建設。現在の姿は1129年に建て直されたものでロマネスク様式の傑作とされる。教会は修復工事中だった。隣に城博物館がある。城山は庭園となっており市街が一望に見渡せる。

左:聖セルヴァティウス教会、右:城博物館          庭園            城山からの眺め

ヴェルニゲローデ

 ハルツ山地にある木組みの家並みと魔女伝説で知られる美しい町。

 町のメインストリート、プライテ通りを進むと両側に木組みの家々が並び始める。左手の横道からは山の上のヴェルニゲローデ城が見える。右手にあるニコライ広場を過ぎてしばらく行くとマルクト広場に出る。

ヴェルニゲローデ中心部          プライテ通りに出る               プライテ通り
「ヴェルニゲローデ、山の上の城」 F0 水彩                        プライテ通り
ニコライ広場                       「ヴェルニゲローデ、マルクト広場」 F0 水彩

 マルクト広場では丁度朝市が開かれていた。目玉は町の人々の誇りである市庁舎で、2本の尖塔を持つ市庁舎が最初に建設されたのは1492~97年のこと。1543年の火災後に再建された。ドイツ中世木組み建築の至宝とされる。広場には装飾された泉があり、古い木組みの建物を利用したホテルなどが取り囲んでいる。

「ヴェルニゲローデ、マルクト広場の朝市」 F10 パステル                   市庁舎と泉
市庁舎東側面           市庁舎西側面、細い道を抜けたところ        シルヴェストリ教会

 市庁舎西側の細い通りを進むとシルヴェストリ教会が見えてくる。この辺りは緑もありいい雰囲気。木組みの家並みを楽しみながらマルクト通りを進み、突き当たりを左折しヨハン・セバスティアン・バッハ通りを進むと、市街を囲んでいた旧城壁に出る。その脇を通って城への山道を登る。

市庁舎裏手の町並み            シルヴェストリ教会               城山へ向かう
市の城壁と塔                市の城壁と塔           ヴェルニゲローデ城の城門

 城門を入り外廓を進むと内郭を一周する形になり、城館の各面を見て回ることになる。外廓外側の最初の家の前に大勢の人が集まっていたが、二階の窓から魔女が現れるからくりがあり、丁度終わった所だという。残念。さらに進むと内郭への城門があり、城館前の広場に出る。

城の案内図               外郭から城館、櫓を見る               城門の内側
城館北西面             左手:魔女のからくりのある家              城館北の隅

 ヴェルニゲローデ城は当初1110~20年に建設され、増改築を繰り返してきた。30年戦争で荒廃したが1862~93年に建て直され現在のバロックとネオゴシック様式の姿となった。現在は博物館となっている。

城館正面                  左:櫓、右:城館            城からの市街の眺め

ゴスラー

 968年から始まったハルツ山麓の銀鉱の採掘に伴って発展して来た。1050年、神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ3世が城を建てた後、11~13世紀にかけて数々の帝国議会が開かれ、いっときドイツとヨーロッパの歴史の中心となった。旧市街とランメルスベルク旧鉱山は世界遺産

ゴスラー中心部                皇帝居城           壁までスレート貼りの町並み

 皇帝居城近くの駐車場に着く。皇帝ハインリヒ3世が築いたロマネスク様式のこの皇帝居城はドイツに現存する宮殿様式の建物の中では最大規模を誇る。

 皇帝居城から北北西に進む。この辺りは壁までスレート貼りの町並みが続く。そのうち木組みの家屋が多くなっていく。旧市街にある建物の2/3は1850年以前のもので、そのほとんどが木組みの家とのこと。そのうち168の建物は、1550年以前の中世に建てられたもの。

「ゴスラー、木組みの町並み」 F0 水彩            「ゴスラー、ジーメンスハウス」 F0 水彩

 しばらく行くと赤レンガの木組みの家が見えてくる。大企業ジーメンスの先祖が住んでいた家・ジーメンスハウスだ。1693年建築のバロック様式。その前のシュライバー通りを進み、突き当たって右折してマルクト通りを進む。やがてマルクト教会の前に出る。教会の横手に乗合馬車が停まっていた。その先がマルクト広場。

ジーメンスハウス             シュライバー通り                マルクト通り
正面:マルクト教会             マルクト教会                   乗合馬車

 マルクト広場の中央には1230年建造の噴水があり、水盤には町のシンボル・冠をかぶった帝国の鷲が翼を広げている。広場の敷石もこの噴水を中心に放射状に敷き詰められている。広場の南西面には白い壁のアーケードが特徴的な市庁舎がある。15世紀建造のゴシック様式。市庁舎の向かいの建物の屋根にはグロッケンシュピールがあり、定時にメロディを奏でる。近郊のランメルスベルク鉱山採掘100年を祝って制作され、採掘シーンを再現した人形も現れる。南東面には色鮮やかな格調高いホテル・カイザーヴォールトが建っている。築500年の歴史ある建物で元ギルド会館。

マルクト広場                    噴水                    市庁舎
屋根にグロッケンシュピールのある建物      カイザーヴォールト           ドーム入口の間

 マルクト教会前のホーハー通りを南に進むとドーム入口の間に出る。皇帝居城と同時期に建設されたゴスラー大聖堂の北側入り口部分で、大聖堂は建設当時はライン右岸で最大のロマネスク建築であったが、現在はこれだけが残っており、聖シモンとユダ教会となっていた。

 一路フランクフルト目指して出発というところで後輪がスペアタイヤであることに気付く。ミュンヒェン空港で取り換えてもらった車のエアコンが不調で再度取り換えてもらったが、その時、最初に返した車をそのまま我々に貸したらしい。ドイツ人は几帳面だとばかり思っていたが、ずいぶんいい加減なことをするものだ。それにしてもスペアタイヤで170kmも出していたとは、知らぬが仏とはこのことだ。事故にならずに済んでほっとする。フランクフルトまで300kmの行程があるが、100km平均に抑えて安全運転を期すことにする。一度渋滞に引っかかったが、大したことなくフランクフルト空港に着く。対向車線は大渋滞の連続だったことを思えばラッキーだった。

 翌日夕方羽田空港に無事帰着。

おわりに

 5月のドイツはいろいろな花が一斉に咲いて大変美しいうえ、天候に恵まれて素晴らしい旅でした。城、宮殿、教会などの建物や庭園、美しい町並み、雄大な自然等見どころ満載の楽しい旅でした。朝日カルチャーセンター横浜の風景スケッチ教室に入ったばかりで張り切っていたこともあり、早朝薄暗いうちから起き出してスケッチしたのもいい思い出です。今回見て頂いた絵はほとんどが帰ってから写真を参考に描いたものですが、旅を思い出しながら描くのも楽しいことでした。タイヤのパンク騒動も今となっては懐かしい思い出です。

 次は11月初めに行ってきた「瀬戸内国際芸術祭2022」に取り組む予定です。頑張って執筆しますので是非ご覧ください。