4.四日目(10月14日(月)、ベルッキオ、ウルビーノ、グッビオ
ベルッキオ
サン・マリノの北北西6kmにある丘の上の城壁に囲まれた小さな村。
朝食を済ませホテルのすぐ近くにある市庁舎広場Cへ行き写真を撮る。水彩スケッチはこれを描いた。





9時出発、SP32、SP69、SS72、A14/E55、SP423、SP30、SP423、E78経由でウルビーノに向かう。
ウルビーノ
多くの文化遺産を擁する芸術の町として知られる世界遺産。1400年代にモンテフェルトロ家のフェデリコ公の統治下、イタリアルネッサンス文化の中心地として繁栄し最盛期を迎えた。ラファエロや建築家ブラマンテを生み出した。
10時30分到着。メルカターレ広場の駐車場に駐車。エレヴェータでガリバルディ通りへ上がり。レプッブリカ広場へ。広場に面してラファエロ大学とアルバーニ宮殿が向かい合って建っている。








ベネト通りを経てフェデリコ公広場に出る。広場に面してドウカーレ宮殿、大聖堂、市庁舎などが建っている。
大聖堂の正面は18~19世紀にネオ・クラシック様式で改装されたもの。ドウカーレ宮殿は1444年フェデリコ公が建て始めたモンテフェルトロ家の宮殿だったものでルネッサンス様式の建物。中庭の回廊が美しい。現在は国立マルケ美術館になっていて見学する。






フェデリコ公広場に続いて細長いリナシメント広場があり、ドウカーレ宮殿の細長い面やサン・ドメニコ教会がこれに面している。広場の入り口に建つオベリスクはエジプトから、さらに18世紀前半にローマから持ってこられたもの。
サン・ドメニコ教会内部を見た後、広場の隅にあるウルビーノ大学の前を通り過ぎてからサン・キアラ通りを経てレプッブリカ広場に戻る。






広場の隅にあるサン・フランチェスコ教会の前を通ってラファエロ通りを上る。ラファエロの生家があるはずだが見落としてしまった。裁判所の前を過ぎてしばらく行くと丘の頂上のローマ広場に出る。ラファエロの銅像が建っている。広場の前には茶色の凧が沢山ぶら下がっていた。






ローマ広場から伸びるブルーノ・ブオッチ通り(通称パノラマ通り)を進むと大聖堂、ドウカーレ宮殿を始めウルビーノ市街の素晴らしい風景が目の前に広がる。水彩スケッチはこれを描いた。
左手にあるアルボルノツ要塞を巻くように戻るとビューポイントで大勢の人たちがスケッチしていた。





急な坂道の路地を下っていくとラファエロ通りに出、レプッブリカ広場に戻ってアルバーニ宮殿のテラス席で軽い昼食を摂る。






一休みした後、バロッチ通りを上ってサン・ジョゼッペ教会の前を通り、サン・ジョヴァンニ祈禱堂へ行く。15世紀初めのフレスコ画があるというが中に入れず、路地の急な坂道を下ってマッツイーニ通りに出てヴァルモナ門から出ると駐車場のあるメルカターレ広場。門の脇がバス乗り場になっている。



13時45分出発、E78、SP3、SP452、SP452/SR45経由でグッビオを目指す。
グッビオ
古くから由緒のある、中世の雰囲気を残す魅力的な町。もともとは下の平野にできた町だが現在はその平野を見下ろす形でインジーノ山の麓の傾斜地に広がっている。ローマと同盟を結んでいたが、紀元前89年にローマの属都市となった。12世紀に町はインジーノ山の麓の傾斜地に広がり始めた。中世には自由都市として栄え、マヨリカ焼の主要産地として知られた。1384年にウルビーノ公国のモンテフェルトロ家の支配をうけるようになった。
15時30分ローマ劇場遺跡㉖の駐車場に到着。遺跡を見学。劇場は紀元前1世紀末期に建設されたと思われる。ローマ共和国時代の典型的な形を呈しており、当時は10000人の観客を収容できた。ここで夏季に重要な古典劇の公園が行われている。








車で移動してクアランタ・マルチリ広場(40人殉教広場)に面した駐車場に駐車。広場に面してサン・フランチェスコ教会、織工組合のロッジアが建っている。サン・フランチェスコ教会❶は13世紀建造のゴシック様式の建物。多角形の鐘楼は18世紀の建造。織工組合のロッジア❸は14世紀の柱廊にかぶせるようにして1603年に建てられた。上部の回廊は染色工程を終えた毛織物を日陰に広げて干すのに使っていた場所。下部は本来は病院として使われていたとのこと。観光案内所が入っており、資料を頂く。日本語版の「ウンブリア地方案内」の小冊子がありありがたかった。



織工組合のロッジアの横のレプッブリカ通りを上る。しばらく進むと左手にサン・ジョヴァンニ教会の鐘楼とコンソリ宮殿が見えた。さらに進むと正面にドウオーモが見えて来て、突き当りがバルダッスイーニ通り。左手には市庁舎、大広場、コンソリ宮殿などの下部が面している。



右折して左手にある階段を上るとコンソリ通りに出る。左手に進むと市庁舎、コンソリ宮殿が面する大広場に出る。



大広場❽は1482~83年に造られた。かって二つの市議会が置かれていた建物、コンソリ宮殿とポデスタ宮殿を連絡する役目を果たしていた。14世紀建造のコンソリ宮殿
❽は自由都市時代にコンソリ(執政官)たちの本拠が置かれていた。現在は市立美術館と考古学博物館が入っている。ポデスタ宮殿❼は都市国家政府の客観性を確保するために、隣町から来ていた執政長官の本部が置かれていたとのことだが、現在は市庁舎になっている。コンソリ宮殿の中の市立美術館、考古学博物館を見学。バルコニーからの眺めが素晴らしい。






コンソリ通りを戻ってF.モンテフェルトロ通りの坂を上ってドウカーレ宮殿❾へ行く。グッビオがウルビーノ公国に属していた時代にフェデリコ・ダ・モンテフェルトロ公の住居だったもので15世紀建造の建物。大ヴォウルトのあるアーケードからテラス上の庭に出られるようになっていて町の全景を見渡せる。



ドウカーレ宮殿の真向かいにドウオーモ➓が建っている。外観はロマネスク様式のように見えるが内部は主にゴシック様式。






ドウカーレ宮殿のアーケードを通り抜けてカテドラル通りを進む。振り返るとテラスの庭園がある立派な邸宅が目に付いた。カミニャーノ川を見下ろす道に出ると前方に屋根付き橋が見えなかなか美しい。水彩スケッチはこれを描いた。


川向こうにガブリエッリの塔が見える。屋根付き橋の手前下に架かる橋を渡る。屋根付き橋の向こうは城壁が迫って建っている。屋根付き橋の下を潜って進むとメタウロ門に出る。






門の傍から城壁沿いに屋根付き橋への道が通じており、これを進むと屋根付き橋に出る。引き返すとメタウロ門のすぐ近くに13世紀に建てられたポポロ人民隊長館㉒がある。



ここからガブリエッリ通り、N.ヴァンタッギ通りを進むと突き当りがG.ブルーノ広場でサン・ドメニコ教会㉒が面している。ファサードの上部は仕上げ材がはがれて下地がむき出している。内部にはフレスコ画が残っている。



コンソル通りへ進むとすぐにカミニャーノ川を渡るがこの部分はちょっとした広場のようになっている。住居に大きな扉の脇に小さな扉のあるのが目に付く。これが遺骸を運び出すときだけに使われる「死者の扉」なのかもしれない。



14世紀初頭に建てられたバルジェッロ館⓬は警吏の本拠として使われていた。建物正面の広場には16世紀の「奇人の噴水」がある。古くからの伝統によると、この噴水の周りを3周した者は、グッビオ市民の証の生命力が出てくるという「奇人証明書」がもらえることになっているそうだ。
バルジェッロ館の横を通って進むとバルダッスイーニ通り合流する。コンソリ宮殿の下あたりでサン・ウバルド邸❺の建物の下を潜って進み、左折するとサン・ジョヴァンニ教会広場に面してサン・ジョヴァンニ教会❹が建っている。13世紀、ロマネスク様式の建物で、かって司教座教会だったもの。
駐車場に戻り、SS219、SS298/SR298、SS3BIS/E45、SS75、SS147DIR/SR147DIR経由でアッシジに向かう。
アッシジ近くの田園にあるカントリーハウス・イル・ロセトにチェックイン。ライトアップされたサン・フランチェスコ聖堂が良く見える。食堂はもともとはテラス席なのかビニールシートで囲われていた。








(つづく)