11.11日目(9月24日(日))、ウーディネ、アクイレイア
ウーディネ
ウーディネはロマネスク、ゴシック様式の記念物が残る、周囲を丘に囲まれた美しい町。アクイレイアの大司教座を1420年に移して以来発展した。
朝食を済ませ町の観光に出かける。ホテルを出て右に進むと大聖堂の前に出る。1300年代にゴシック様式で建築され、1700年代に修復された。正面はゴシック特有の細かな彫刻を施した尖塔のある様式で飾られている。内部には三つの礼拝堂にティエポロの描いた作品がある。
その先を進むと町の中心リベルタ広場がある。時計塔のある柱廊はサン・ジョヴァンニ教会。その向かいに市庁舎。広場には16世紀の噴水や様々な彫像がある。広場の奥、サン・ジョヴァンニの柱廊の左端には背後の丘の上のカステッロへ続く坂道とパラーディオ設計のボッラーニ門(1556年)がある。
カステッロは1500年代の優美な城。アクイレイアの大司教の城跡に建てられたもので、G.フォンタナの設計でG.ダ・ウーディネによって改修された。現在はリソルジメント博物館、考古学博物館、古典美術館、素描・印刷美術館、写真博物館となっている。
サン・ジョヴァンニ教会の柱廊は16世紀のルネッサンス様式で、中央に時計塔(1448年)が建つ。翼をもつライオン像の上には、時計と鐘があり、二人のムーア人が鐘を打って時を告げる。
市庁舎はN.リオネッロの設計で1448~56年に建てられた、優雅なヴェネツィアン・ゴシック様式。一階は一段高くなりポルティコに囲まれている。
市庁舎から南西に進み、20世紀広場を通ってホテルに戻る。9時50分ホテル出発。
アクイレイア
紀元前181年にローマ人が軍事拠点として都市を建設した際「大空に鷹(アクイレイア)が舞った」との言い伝えからアクイレイアと名付けられた。商業と戦の前線基地として栄え、ローマ帝国第四の豊かな商業都市だった。フォロ(広場)、住居群跡、港をはじめとする考古学遺跡が残っている。またキリスト教が公認された313年の「ミラノ勅令」後間もなく教会が建設され、キリスト教伝道の場として大きな役割を果たした。「アクイレイアの遺跡地域と総大司教聖堂バジリカ」が世界遺産となっている。
10時35分、国立考古学博物館の駐車場に着く。博物館の道路を隔てた向かい側の遺跡置き場?の横を通ってサンタ・マリア・アッスンタ聖堂へ向かう。これは脇道だったようで、正規のアプローチはもう少し先にあったようだ。しかし、芝生の広場越しに聖堂の全容が眺められてよかった。
サンタ・マリア・アッスンタ聖堂は313年から建設が始められ15世紀まで4次にわたって増改築されて来た。現在の姿はロマネスク、ゴシック様式。1031年に総大司教ポッポによって、元の聖堂跡地に再建されたもので、1379年ごろにゴシック様式に改修された。
身廊と左右の側廊のバジリカ式聖堂で、「異教徒の聖堂」、5世紀の洗礼室の遺跡とつながっている。聖ペテロの礼拝室(4世紀)、聖堂後陣(11世紀)、クリプト(12世紀)などにはフレスコ画が残っている。特にクリプトはいたるところフレスコ画で埋め尽くされていてフレスコ画のクリプトと呼ばれている。聖堂床のモザイクはヨーロッパ最大とされる。地下に入ると地下遺跡が保存されており4世紀のモザイクが見られる。
11時30分出発。13時10分ヴェネツィア、マルコ・ポーロ空港着。15時55分発で18時パリ、CDG空港着。時間があるので息子たちはパリまで出かけたが、家内と二人で空港で過ごす。23時25分パリ、CDG空港出発、25日18時頃羽田に無事到着。
終りに
パステル画を除いて、水彩画は今回写真を見ながら新しく描いた。旅行での出来事を思い出しながら、再度旅行しているような気分を楽しめた。朝いちばんでホテルを飛び出し、夕方日の暮れる直前にホテルに入る強行軍で、現地でのスケッチが出来なかったのは残念だが、描いていると現地で見たイメージが蘇り、写真を参考にしながら絵を描くのに苦労はなかった。
予告
次は「旅の絵日記:2008年ドイツ」を12月上旬ころから始める予定です。ぜひご覧ください。