はじめに
2009年9月のフランス旅行の記録を絵、写真を盛り込んだ絵日記としてまとめました。
フランス中央部ロワールの古城群の後、南下して南西部ペリゴール地方の古城や美しい村を巡り、中央山地を突っ切って東部のブルゴーニュ地方に出、最後にパリ周辺のイル・ド・フランスを周ってきました。
朝一番に朝食を済ませて宿を飛び出し、出来るだけ多くの物を見て回り、夕方宿に着くという強行軍の上に、サマータイムのため朝は7時を過ぎないと明るくならないので、現地でスケッチする余裕はなく、絵は帰ってから撮ってきた写真を参考に描いたものです。
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1.一日目(9月18日(金))
成田エクスプレスで7時56分に成田空港につき、チェックイン後朝食をすます。11時20分発日航AF271、16時40分パリ、ドゴール空港到着。
AVISでレンタカーを借りてオルレアン西南25kmにあるボージェンシーを目指して出発したのはいいが、交通渋滞でイル・ド・フランスを抜け出すまでに3時間かかる。金曜の夕方でヴァカンスに出かける人が多いのかもしれない。A10号線に出てからは快適に飛ばす。沿道は平坦な田園地帯で、風力発電がずらりと並んでいる光景が珍しかった。20時頃まで明るいので助かる。ボージェンシーのホテル・ラ・トンネリュリに着いたのは日が暮れた21時。隣のの鐘が時を告げる。宿のかみさんが出て来て駐車場を開けてくれる。着くのが遅いので心配していたようだ。
2.二日目(9月19日(土))、シャンボール城、ブロワ、ショーモン・シュル・ロワール城、シュノンソー城、アンボワース城
朝食前に付近を歩くがまだ薄暗い。朝食後ホテルの写真を撮る。中庭を囲んでロの字形の平面。道路に面して間口はそう大きくないが奥行きが深い。8時50分出発。
シャンボール城
フランソワ1世によって1519年から建設が開始され、ルイ14世統治時代の1688年に完成した。もともとは狩猟用の離宮として建てられたものだが、高さ120m、幅150m、奥行117m、426の部屋を持つ狩猟用としては桁外れの大きさで、ロワール地方最大の城。古典的なイタリアの構造に伝統的なフランス中世の様式を取り入れたフレンチ・ルネッサンス様式が特異な城で世界遺産。敷地は5440haとパリ市の大きさに匹敵し、ヨーロッパ最大の森林公園となっている。
9時15分駐車場に着く。付属する建物の間から特徴的な数多くの塔や煙突が見えてくる。古い石橋を渡ると船溜まりがあり、北側の広場にはイベント用の観覧席が設えられている。西面の脇を通って南側に出ると広大な芝生が広がっている。城の幅が長いので全体を収めようとすると相当離れなければならない。フランソワ1世が城の建設を命じた時、コンスタンティノープルの地平線に現れる屋波をイメージしたというが、屋根の小塔や煙突が林立する様はすごい。282の塔、煙突を加えると365あるという。ロワール川から引いたという水路は壮観だが、濠は北と東の2面のみ。窓も大きく防御的な配慮は見られず、装飾的な面が強く、住み心地はあまりよくなかったようで、フランソワ1もほとんど滞在していない。
低層の外廓に囲まれた中庭の北寄り中寄の天守閣に入ると玄関ホールの正面奥に二重螺旋階段がある。人がすれ違わないで昇降できる巧妙な技巧が用いられており、フランソワ1世がイタリアから呼び寄せたレオナルド・ダ・ヴィンチの発想が取り入れられていることは間違いないだろうという。あちこちの部屋の床に草が敷かれていたのはなぜなのかよく分からない。所々に昔の衣装を着けた人たちがいて一緒に写真に入ってくれる。10時50分出発。
ブロワ
ブロワ生まれのルイ12世がフランス王に即位した1498年から、アンリ4世が宮廷をパリに移すまでの約100年間、フランス王の居城があった町。
旧市街の対岸にあるロワール河畔の公園に駐車。公園は休日で人も出るのか、テント張の開店準備中の店があったり、グループの集まりが見られる。川向こうの旧市街はスレート葺きの屋根が続き、サン・ルイ大聖堂が聳え立つ。ジャック・ガブリエル橋の向こうの小高い丘の上にブロワ城、その左手にサン・ニコラ教会が見える。ロワール川に舫っている平底の帆船が面白い。
ジャック・ガブリエル橋を渡り、続くメインストリートのドン・パパン通りを少し行ったところで左折し、サン・リュパン通りを進む。露店が連なり賑わっている。城の下あたりで右手の長い階段を上ると城前の広場に出る。市街を見下ろすと、右手に12世紀建造、ロマネスク様式のサン・ニコラ教会の三つの尖塔が見える。城の反対側にマジック博物館があり、その先にサン・ルイ大聖堂が聳えている。市内遊覧の乗合馬車も客を待っている。
世界遺産のバロワ城は5世紀にわたって増改築を繰り返してきたため、様々な建築様式が混在していて、さながら建築博物館のようだ。広場の南西側正面に見えるレンガと石造りの美しい建物は、1500年頃にルイ12世によって造営されたルイ12世棟で、後期ゴシックのフランボワイヤンスタイル。城への入口上部にルイ12世の騎馬像がある。
中庭に入って右手に1515年着工のフランソワ1世棟。八角形の螺旋階段はルネッサンス様式様式の傑作とされる。中庭の奥にあるのがガストン・ドレルアン棟で1635~38年建築の古典様式の典型的な建造物。南東側にルイ12世棟とガストン・ドレルアン棟の間に三部会室がある。
休日で無料だったが時間の関係で中に入るのはパス。城を出て王の庭に回るとガストン・ドレルアン棟、フランソワ1世棟の外観が見られる。
木組みの家や15世紀の石造りの家が建ち並ぶ旧市街の町並みを眺めながら駐車場に戻る。広場では露店が並び、テラス席で食事する人も多い。時間節約のため、パン屋でサンドイッチを買い、車中で昼食。
ショーモン・シュル・ロワール城
町の高台に建つ16世紀の城砦。10世紀に築かれた要塞が15世紀に破壊された後、1468~81年にかけてゴシック様式で再建が始められ、16世紀にルネッサンス様式で続けられ、ゴシックとルネッサンス様式が美しく調和して混合されている豪華な造りで知られる小さな城。18世紀にはロワール川側の北翼が取り払われて眺望を楽しめるように改造されている。16~17世紀の家具やタピストリー、美術品の素晴らしいコレクションがある。
ここに住んでいたアンリ2世の正室・カトリーヌ・ド・メディシスが、夫の死後、夫の愛妾・ディアーヌ・ド・ポアティエからシュノンソー城を取り返すため、代わりに与えた城として知られる。
イギリス風の大庭園が造られたのは19世紀になってからで、1992年以来国際庭園ファスティバルが開催され、多い年には約53万人もの入場者を集める。世界遺産。
13時15分、駐車場に着く。門を入ると農園があり、立派な建物が並んでいて現代アートの4つのギャラリーとして使われている。
しばらく行くと城館が見えて来て、前庭にはガウラの白い花が咲き乱れている。
跳ね橋を渡り、入り口の小城砦、翼棟、歓迎の間を通り過ぎ、狭い階段を通ると1階の歴史に残る居間に出る。跳ね橋の上に衛兵室(4)があり、その隣の少城砦塔の中にディアーヌ・ド・ポワチェの寝室(5)がある。衛兵室に戻り、その先に進むと会議の間(3)、カトリーヌ・ド・メディシスの寝室(2)と続く。
大階段を上がって2階へ行くと最後の所有者だったブロイ家の私的居室に出る。会食の間(7)には16世紀のタピストリーが掛けられている。隣の図書室(8)にはアレキサンダー大王の3つの逸話を描いた17世紀のタピストリーが展示されている。
奥に進んで玉つき場(9)にはハンニバルの2つの逸話を描いた16世紀末のフランドルのタピストリーがある。一番奥に大客間(10)があり、ルイ12世様式の極彩色のマントルピースがある。大階段に戻り1階の歓迎の間を抜けると中庭に出る。北翼が取り払われ、ロワール川の眺望が広がる。
東翼2階の礼拝堂(11)には中庭から上がる。16世紀の初めに建設され、フランボワイヤン様式の彫刻による装飾が施されている。ステンドグラスはショーモン城の起源からブロイ家に到るまでの歴史を物語っている。
城館を出て右手下方に厩舎がある。1877年の建築で、当時のヨーロッパで最も豪華かつ近代的な厩と考えられていた。一部はギャラリーとなっている。
壮大な庭園はよく手入れされた公園となっている。覆いの付いたベンチなどが配置され、ゆったりとロワール川の風景などを楽しめる。農園に続くレストラン横には野菜を主とした庭が設えていた。
(つづく)