旅の絵日記:2009年フランス 3

3.三日目(9月20日(日))、ヴィランドリー城、アゼ・ル・リドー城、シノン城、アングル・シュル・ラグラン

三日目旅程:アンボワーズ近郊→ヴィランドリー城→アゼ・ル・リドー城→シノン城→アングル・シュル・ラグラン

 6時30分に起床したつもりが1時間間違って7時30分。出発が遅れるので慌てる。朝食は元オランジェリーを利用したところで摂る。コンチネンタルでパン・シリアルと飲み物だけ。ホテルの写真を撮り、出発したが帽子を置き忘れたことに気が付き、取りに戻ったりして結局9時15分の出発。

シャトーの玄関側              庭側             朝食を摂った元オランジェリー
庭                     昔のままの部屋             甲冑が飾られている

ヴィランドリー城

 ルネッサンス様式の美しい城で、現城主は定住したまま城の一部と庭園を一般公開している。フランソワ1世の財務大臣によって、12世紀の古い城塞跡を取り壊して、1536年に建設された。1754年にカステラーヌ侯爵の所有となり、18世紀の快適な設備を基準として改装された。インテリアは18世紀のロココ調が目立つ。世界遺産。この城を有名にしているのは建物よりも幾何学模様の広大な庭園。イタリア人の造園家によるもので、一時期イギリス式庭園に改修されたが、20世紀初めに復元された。

 10時10分到着。霧が深く幻想的な風景。付属建物の受付でチケットを求め城館に入る。玄関ホールは模型の部屋と呼ばれ、ヴィランドリー城を総合的に理解するために必要なポイントを紹介している。

ヴィランドリー城見取り図         古典様式の付属建物                   城館
城館アプローチ                城館中庭                城館中庭見下ろし

 応接間には18世紀の調度品が設置されている。仕事部屋は天守塔の1階にある。天守塔はこの城で最も古い部分で12世紀に建造されたもの。

 食堂を18世紀風にしたのはカステラーヌ侯爵。ロココ調の板張り、床は寄木でなく大理石になっている。窓からは屋外の部屋のように設計された観賞用庭園が眺められる。

 2階は伝統的に家長とその客用に使用されていた。ジェローム王子の部屋はナポレオンの末弟であるジェロームが帝政時代に城の所有者として使用していた部屋。

応接間と仕事部屋               食堂                ジェローム王子の部屋

 ヨアキム・カルヴァロの部屋は、ヴィランドリー城の偉大な修復家で庭園の創設者の部屋

 堀の部屋は、ヨアキム・カルヴァロの妻アン・コルマンの部屋で18世紀様式。

ジェローム王子の部屋         ヨアキム・カルヴァロの部屋               堀の部屋

 ギャラリーはヨアキム・カルヴァロとその妻アン・コルマンのコレクションを展示するための物だった。二人は特に17世紀のスペイン絵画の黄金時代を好み、熱心に収集しており、彼らが1906年ヴィランドリー城を購入したのはそれらを展示するためだった。

 オリエンタルサロンの天井は、トレドで15世紀に造られたマクダ侯爵の宮殿からのもの。ムルデハ様式で、天井を再建するのに1年を要した。

ギャラリー                オリエンタルサロン         オリエンタルサロンの天井

 3階に子供部屋が2つある。ここからの愛の庭園の眺めは見事。霧がかかっていて遠目が効かないが広大な庭園が一望に見渡せる。装飾庭園の内、城館よりの正方形4つの庭園は愛の庭園を構成している。

子供部屋          装飾庭園、手前左「移り気な愛」、右「熱烈な愛」         運河と菜園

 3階からテラスに出る。目の前に装飾庭園が広がっている。城館のテラスから続いて「愛の庭園」。城館に近いほうの手前に「移り気な愛」の庭園。4隅にある扇は移り気の象徴。その奥は「熱烈な愛」の庭園。情熱のために深く傷ついたハートを象徴する。左手前は「悲劇的な愛」の庭園。愛のライバル同士の決闘に用いられた短刀と鉾を表現している。その奥は「優しい愛」の庭園。四隅にある愛の炎により分離されたハートにより象徴されている。

菜園               テラス       装飾庭園、左手前「悲劇的な愛」、左奥「優しい愛」

 テラスを進むと水の庭園に出る。古典様式からインスピレーションを得て作られたもので、ルイ15世様式の鏡形の大水面を取り囲み、それ自体は樹木の回廊で取り囲まれている。堰堤に架かる橋を潜って水は運河に流れ込む。

 堰堤の上から城館をバックに大きな正方形の装飾庭園が見える。中央に「マルタ十字」が配置されている。

水の庭園                 水の庭園。奥は城館                 装飾庭園

 運河の両脇には葡萄棚が伸び、実った葡萄をつまんで食べたら美味しかった。

 運河を挟んで左手にツゲで作られた第二のサロンがある。大きな三角形は竪琴を表し、その横にはハープが配置されており、音楽を象徴・連想させる。

ヴィランドリー城」 F0 水彩             ツゲで作られた第二のサロン

 ルネッサンス様式の菜園は城館と村の間に挟まれており、内部の幾何学模様だけが異なる9つの同サイズの正方形の区画から構成されている。これらの区画には様々な色彩の野菜が植え付けられている。

 菜園の起源は、修道士たちが大修道院内の庭に好んで野菜を幾何学模様に配置した中世に遡っており、ヴィランドリー菜園にある多数の十字紋章も、この菜園がそもそも修道士たちにより造られたことを想起させる。

運河脇の葡萄棚                  菜園                      菜園

 城の近くのパン屋で昼食用のクロックムシュー(ピザトーストの一種)を買う。大きなパリジャン(フランスパンの一種)を買った人が包装もなしに車の後部荷物置き場にぽいと投げ込むのを見て驚く。日本人とは感覚が違うようだ。

 12時10分出発。

アゼ・ル・リドー城

 ロワール川の支流アンドル川の中州に1518~27年に建てられた初期フランスルネッサンス様式の城。こじんまりしているが、この上なく美しい城で初期ルネッサンス建築の傑作とされる。バルザックはこの城を「アンドル川にはめ込まれたダイアモンド」と称えている。世界遺産

 1825年以降、ビヤンクール侯爵によって草地部の排水が行われ、イギリス式庭園が整備された。

 13時到着。休日なので入場無料とのこと。長い並木道を進むと城の正面が見えてくる。

アプローチの正面に玄関            城館北面                 北東からの眺め

 貴賓用の玄関を入ると直接大階段(1)で2階に上がる。大階段の先は格天井になっている。

2階平面図                    大階段                 大階段先の天井

 その右手が大広間(4)で、舞踏会や宴が催されていた。暖炉の火トカゲ(フランソワ1世の紋章)と装飾は20世紀半ばにだまし絵で復元されたもの。

 その先を進み一番奥の部屋が家主の寝室(7)。窓からは中庭、庭園、川を一望できる。この部屋の窓は大広間の窓と同様に、残されていた貴重なルネッサンスの木工細工品を用いて復元されたもの。

大広間                    家主の寝室                   1階平面図

 螺旋階段を1階へ下りると書斎(9)。暖炉が置かれ、壁には板張りが施されている。

 その隣の旧通路(10)は中庭と庭園をつないでいた。現在は床が持ち上げられ、空間が仕切られることによって、アーチ天井の快適な書斎となっている。

書斎                      書斎                      旧通路

 その隣が食堂(11)で台所(12)に続く。

 先に進むとビリヤードの間(14)でボーヴェで作られたタピストリーで装飾されている。

食堂                        台所                ビリヤードの間

 一番奥がビヤンクールのサロン(15)。1791年に領地を買い取り、城を整備し、大庭園を造ったのがビヤンクール侯爵で、絵画、歴代肖像画など豊富なコレクションが飾られ、19世紀当時の雰囲気が再現されている。

ビヤンクールのサロン                       「アゼ・ル・リドー城」 F10 パステ

 外へ出て庭園を巡る。15世紀の大砲用塁道が城の下部でテラスを構成していたが、1950年代の修復作業の際にテラスが取り除かれ、敷居で流れが弱められた川面に城が映し出されるように整備された。庭園側から見ると城が川の中に建てられていることがよく分かる。もっとも水面があまりにも静かで川とは思えない。

 14時出発。

城館南面                               「アゼ・ル・リドー城」 F0 水彩
南西面                      西面                    チャペル

シノン

 ヴィエンヌ川とロワール川の合流点近く、ヴィエンヌ川の段丘に建つ。交通の要衝で、古代ローマ時代からの城塞を基礎に954年築城。イングランド王ヘンリー2世の居城でアンジュー帝国の要だった。13世紀初期にカペー朝がアンジューを併合、15世紀初期、シャルル王太子(のちのシャルル7世)の居城となった。1429年にジャンヌ・ダルクとシャルル王太子の歴史的会見が行われたのがこの城。城とは言え往時の姿をとどめるものはほとんど残っておらず、荒廃した城塞となっている。世界遺産

北側の丘には葡萄畑が広がる      ヴィエンヌ川越のシノン城            シノン城見取り図

 時計塔が正規の入り口だが、修復工事のため西の濠から入る。休日のため無料。濠の突き当りの13世紀建造のボワシイ塔からクードレイ砦に上がる。西端にミル塔がある。12世紀建造で元は防御用だったが、19世紀に粉ひき用に改修された。

西の濠                    ボワシイ塔                    ミル塔

 水汲み用のレプリカが置かれている。元の方に戻るとクードレイ天守閣がある。13世紀建造でジャンヌ・ダルクの住まいとして与えられた。

ボワシイ塔                   釣瓶                 クードレイ天守

 天守閣の屋上から西の濠、クードレイ砦、中央城塞、王室アパートメントなどの様子がよく分かる。濠の東北隅、中央城塞の北西隅にあるアーゲントン塔は火器の発達に対応するため15世紀に建造されたもので屋上テラスには大砲が据えられている。

アーゲントン塔              王室アパートメント                西の濠と橋

 中央城塞には15世紀建造の王室アパートメントが残っている。この続きにメインホール跡があり、暖炉のある壁が残っている。

王室アパートメント内部        メインホール跡の壁                    時計塔

 先に進むと時計塔がある。12世紀の基礎の上に建てられており、上部は14世紀に建てられた。ジャンヌ・ダルクがのちの国王シャルル王太子に初めて謁見した場所だ。ジャンヌの力を試すために、シャルル王太子は、替え玉を玉座に座らせ、自分は廷臣に扮して人々の間に紛れていたが、ジャンヌは偽の王太子には目もくれず、一面識もないシャルル王太子のもとに迷わず歩み寄ってひざまずいたという。現在内部はジャンヌ・ダルク博物館となっていて、謁見の場を表すジオラマなどが飾られている。

時計塔内部            ジャンヌ・ダルクのステンドグラス              ジオラマ

 時計塔の先、東の濠の向こう側が聖ジョージ砦。現在発掘中で、多分、イングランド王であり、アンジュー帝国プランタジネットのヘンリー2世によって建てられた巨大な宮殿が見つかるものと考えられる。この城は12世紀にイングランド獅子心王リチャード1世、その後、失地王ジョンとフランス王フィリップ2世との闘争の間に補強されている。ここにはビジターセンターが建設される予定。

シノン旧市街と王室アパートメント    東の濠と聖ジョージ砦               シノン旧市街

 城の麓の旧市街はイングランド王ヘンリー2世の支配下にあった12世紀半ばから15世紀の間のかっての街の姿が見て取れる。、木組みの家屋や古い町並みが連なっており、なかなか趣がある。シノン・ワインで知られるこの町にはワインと酒樽の博物館がある。橋を渡って対岸から城の写真を撮る。

 一路南のアングル・シュル・ラグランに向かう。

シノン旧市街」 F0 水彩        木組みの民家              ワインと酒樽博物館?

アングル・シュル・ラグラン

 アングラン川沿いにあり、廃墟となった城砦、レンガ色の切妻屋根にクリーム色の石壁の古い家々、石畳の小道など中世の雰囲気がそのまま残っている。フランスの最も美しい村に登録されている。「フランスの最も美しい村」は1982年に質の良い遺産を多く持つ田舎の小さな村の観光を促進する目的で設立された協会。厳しい選考基準、選定後の審査などのフォロー、資格剥奪もあるなど権威を高めている。

 17時45分、ホテル・ル・ルレイ・ド・リオンドールにチェックイン。村の観光に出かける。

ホテル入り口                   玄関前                     中庭

 宿を出て少し行くと村の中心の小さな広場に出る。テラス席で憩う人たちがいる。教会通りに入るとやがて右手にサン・マルタン教会がある。ポワトウ・ロマネスク様式の鐘楼が目に付く。その先を進むと公園があり、城址やアングラン川のビューポイントになっている。引き返して広場に戻りシャトー通りを下る。

広場               サン・マルタン教会         公園から。アングラン川が村を分断
公園から。城址。             教会通り。正面は教会                教会通り

 ポワトウ大司教により、初めて城が築かれたのは11世紀のこと。少しずつ増改築が行われたが、18世世紀に廃城となった。今は遺跡が残るのみだが往時は結構な城塞だったと思われる。城址からはシャトー通りを隔てて向かいの丘に広がる村が見渡せ、サン・マルタン教会が良く見える。

城址                   城址                城址、左手はアングラン川
城址                    シャトー通り                     城址
城址からサン・マルタン教会を望む       城址                        城址

 城址を出てシャトー通りを下ると古い石橋に出る。橋を渡った先に修道院に起源をもつサント・クロワ礼拝堂がある。

城址                    シャトー通り             サント・クロワ礼拝堂

 ここからアングラン川に降りる。水彩スケッチはここから橋と城址を描いたもの。橋を潜ると城址の全景が見え、川辺に水車が保存されている。

「アングル・シュル・ラグラン」 F0 水彩                        城址と水車小屋

 橋の袂の家に可愛い鳩小屋があった。食用に飼っているのかもしれない。

 帰りはシャトー通りをショートカットする形で広場に出るキャイユ通りを上がる。細い道でなかなか趣がある。

鳩小屋                   キャイユ通り                 キャイユ通り

 19時45分からホテルの食堂で夕食。日本人女性が働いていて、料理の選定など大いに助かった。シェフが日本料理が好きと日本料理料理の盛り付けを感じさせる。突出し?は野菜などの海苔巻き。料理はなかなか美味しかった。

突出し?        スモーク・サ^モンのサラダ        パン             魚料理

(つづく)